2019/04/24
高すぎる自尊心の果て
病んだ僧は、無一文ひとり旅を断念して、どこかへ潜んでいた。ベストセラーを連発した人。
しかし、自分は、最終解脱をするという妄想が出てきて、そのために、住民票や、マイナンバーのカードやら、家屋敷全てを処分して、放浪した。
しかし、ホームレスのような姿の僧をひとに疎まれ、無一文であるがためにどこでも冷遇され、誰一人として相手にしてくれない孤独の旅をギブアップしたそうです。
旅に出る前には、妄想がひどく、支離滅裂な様子であったそうです。
しかも、自分は、ゴータマシッタルダの弟子の一人の生まれ変わりなどと吹聴して回り、怪しげなエネルギーの話をして回っていたそうです。
なぜそこまでいってしまったのか。
それは、弱い自分を許さなかったからです。
辛かったら、心の治療をしたらよかったのです。
彼は、助けてと言えなかった。
彼は、自分は他の人とは違う、選ばれたひとであるという風な考えを持っているようであった。
その特別感。彼の著書の中によく出てくる、その「慢」の心を、滅する事ができなかったのは、著者そのもの。
高すぎる自意識。
高すぎる自尊心。
寂しさ。
弱さ。
脆い神経質な心。
病んでいく僧。
懺悔をする動画を見て、思いました。
生きるという事は大変な事なんだな。と。
彼の本は売れる。洗練された文章、仏教の思想を語る中に混ぜられたウィットに富んだクスっと笑える楽しいスパイス。時には、ピリリと辛口。理路整然とした、切れ味の良い文章。
しかし、もう本を上梓することもないそうです。
寺もしまい、静かに生きるという彼は、うめくような弱々しい声で、今までの嘘や、妄想による奇行を懺悔していた。
私は、これで済むはずはないと思っている。
彼は寂しい。誰かにちやほやされないと生きてはいけない。一度、世間からちやほやされた経験を、忘れる事は難しいのではないかと思う。大きな寂しい穴を埋める事は、難しいのではないかと思う。
彼は、マスコミに持ち上げられ、ドン座に落とされ、そして、ぺしゃんこになって、これからは、静かに生きると言った。
若いし、甘いと思った。迷っていると思った。
今彼は、ただ少し凹んでいるだけ。今だけ。
それで、極端な行動に出ているだけ。
また、彼の「慢」の心が頭をもたげてくるに違いない。
自分は、すごいという妄想。
いつも人生の舵を極端に切る彼は、危険。
彼は、治療が必要。そう思う。
心の病は、命に関わる。
彼も、ネグレクトをされて育ったそうだ。
東京大学 教養学部出身。小池龍之介。
心が痛い。
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