2018/10/24
看病、「してやった」
闘病中、両親が、食事を作りに来てくれていた。朝、主人と息子が、家を出て、
9時ごろ両親がやって来る。
玄関のドアを開けると、
「来たよ」
と寝室のドアを少し開けて、顔も見ないでキッチンへ行ってしまう。
父はギターの練習を始める。
何故だろう…。顔も見ない…。
母は、何やらキッチンで、ずっと、食事の用意やら、何やらをしている。
何も話はしないのだ。
長年の習慣で、親がいるとゆっくり寝ていられない。何か怒っているのでは、と、
心が疲れる。
テレビを見ながらの黙ってする昼食。
そして、息子が帰る時間におやつを出して、息子と話して、
「じゃ、もう帰るから、家に帰ったら、買い物をして洗濯をして夕食を作らないといけないから」
と言って、帰る。
その繰り返し。ため息と、不機嫌。
洗濯は、この家ですれば良くないか?夕食も、うちで5人分作って持って帰れば良いのではないか?わざわざ分けて作らなくても良いのではないか?と、思った。
それは、こんなに大変だ、家事をさせられて、こんな年になってまで、こき使われて、と思う気持ちが手に取るようにわかった。
キツい。何も話さない。怖い。
冷蔵庫をバタンとしめる。
ドアをバシっとしめる、キッチンの収納をガンっとしめる。
お鍋の蓋の音。
そんなのをベッドでドキドキしながら、聞き入る。
恐ろしい。
幼い頃からこういうことにはとても敏感なのだ。
お願い、ご飯なんて作らなくて良いから、
ピザでも頼んで、お花でも気持ちよく飾って、
楽しくご飯を食べたい。
楽しい話しをしながら…。不機嫌に作った料理を、
ボソボソと黙って食べる毎日。
忙しがる母…。
私がして欲しかったのは、話だった。
何もしなくても良いから、励まして欲しかった。
たわいのない話をして欲しかった。たとえ、スーパーの出来合いの惣菜でも、
楽しく話しながら食べたかった。
はっきり言って、来られるのが苦痛だった。
泣きたくても泣けないし、
黙ってただいるだけで、気まずかった。
帰るとホッとした。
何故だろう、相変わらず、不機嫌。
こんな時にまで、親の顔色を伺うのが辛かった。
そして、闘病が終わって数年後、何かの折に、言い合いになった時、母はこう言った。
「 何?あの時あれだけ色々やってやったのに!!あんなに、色々してやったのに!」
私なら、そんなこと、思わないと思った。
私が、母だったら、子供が癌で闘病していたら、できるだけのことをしてやりたい。
励ましてやりたい。
やってやった、などと、思わない。
看病したい。
「あの時の恩も忘れて!」と、凄んだ母。
でも、何故か、その時に私はこう思った。
やらなきゃいけないことは、宿題として人生の中で、やらされるんだ。
子育ての時に、いやいや私の面倒を見ていた分、
後になって余計に私に関わらなければならなかったんだ。
神さまにやらされたんだ。と。
憎らしい子が癌になった。
面倒を見たくないけれど、仕方がない。
「やらされた。」
また、そう思ったんだなぁと、私は感じた。
仕方がないじゃん、産んじゃったんだから。
可愛がって欲しかったなどと贅沢は、言わない。でも、
家のゴタゴタや、自分の不満のはけ口にして、
いつも私に怒鳴り散らしていたのはやめて欲しかった。
心を病むほど、私を壊した事は、取り返しがつかないのだから。
この人、まだ宿題終わってないわ。
子育ては豊かで、楽しくて、時には大変だけれど、実りのあるものだ。
でも、この人は、そう感じる事が出来なかった。
なんと不幸な、気の毒なひとか。
そんなに嫌いだったら、産まなきゃよかったじゃん。
そしたらこんな看病もしなくて済んだのにね。
いや、私は母には必要な存在だった。
自分の淋しさや不満を押し付ける吐きだめとして…。
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コメント
「楽しくご飯を食べたい。楽しい話しをしながら…」、私が食事が楽しむ物だと知ったのは、ずいぶん大人になってからでした。
家庭で楽しい植字なんて有り得なかった。
2019/02/07 14:55 by URL 編集
No title
どこまで、そっくりなんでしょうね…。
同じ家で育ったみたいです。
どうにか、実家を出られると良いのですが…。
2019/02/07 19:14 by Dahlia URL 編集