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キッチンドリンカーって!大爆笑なんですが…。

私の高校入学から、母はさらに一人ぼっちになった。

「キッチンドリンカーになってやる」
と、わざと私の目に付くように、アルコールを飲もうとしていたことがあって、
わざとらしい様子が、馬鹿馬鹿しく、白けきった気持ちがした。

飲めば良いのだ。くだらない。

「お母さんやめて」と、言って欲しいのが見え見え。
この時ばかりは、どっちが親なんだと、うっすらと、思った。

でも、なんとも言わなかった。
感情は、封印されて育っていたので、
母に対しては、批判する気持ちはおし殺されていた。。無意識のうちに。

でも、心のどこかで、どうでもいいと思っていた。…無意識のうちに。

母は一人だった。
父は仕事で忙しい。ほとんどいない。
そして、唯一、当たり散らせる私が、家にいないのだ。
その頃、弟がどうしていたか記憶はない。

日曜日は、疲れて寝ているか、
遊びに行っていた。

電車に乗って、買い物をして、お茶を飲んで、
コンサートへ行って、部活をして、
楽しいことばかりだった。

外では、誰も、私を叱ったり怒鳴ったりしない。

高校は、自由な校風で、楽しかった。
母は、家で、一人。

夜遅くに帰ると、半べそをかいて下駄箱の靴や、雑誌やら新聞やら、
そこらじゅうの物を私に投げつけた。

ある時、
「誰も、いつも、いつも、いないんだから!」
と、母が思わず言った事があった。

え?と思った。
が、それ以上は考えなかった。
全てを、考えないように生きてきたので。…無意識のうちに。


母の気持ちなど、その場限りの対応をすれば良いことがわかってきていた。
はっきり言って、興味がないのだ。…無意識のうちに。

これで、母は、本当の孤独になったのだ。
甘えていた私にまで、もう、相手にされていない。

あ、かといって母を嫌いになったわけではないのです。
洗脳ゆえに、大好きだったのです。
オカシイですね。


が、不思議な「大好き」なのです。
表面だけ繕う形。…無意識のうちに。
母の気持ちなど一切考えない。…無意識のうちに。
考えていたら、気が狂ってしまうのです。

ブラックボックス。


もう母が怖くはなかった。いなし方がよくわかってきたから…。

私は、完全に、母専用の子守人形。
自分も、気がつかない。
他の人には対応できない。
母専用。
カスタマイズってヤツだ(笑)

お金は父の言いつけで、
際限なくもらっていた。
本や、美術館や、レコード、楽譜、コンサートへ行くお金はいくらでも与えろと
いう考えの父だった。

本屋で、文庫本は、「今日は三島由紀夫の、ここからここまで全部ください」
みたいな買い方をしていた。

これは今では、父に感謝しています。
学校をサボって、近くの工業高校の子にクルマで送ってもらっていても、
三島由紀夫、漱石、太宰、芥川、川端康成、…。夢中で読んでいた。

そりゃ、本当に、
変な子だった。



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コメント

羨ましい。私はずっと軟禁状態でした。わずかなお小遣いは兄にカツアゲされ、帰宅時間がわず数分でも遅れようものなら、母からの罵詈雑言、生き地獄の毎日。楽しい青春や学生時代なんて有りません。羨ましい。

No title

学校が遠かったのです。

それは本当に良かったです。
親がいないって、大きく深呼吸できるような気持ちでした。
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プロフィール

ダリア

Author:ダリア
可愛くない私を、嫌々育てた母。仕事第一の父。そして溺愛された弟。病んでいく私。
ネグレクト、被虐待児のいく末です。

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