2018/10/06
キッチンドリンカーって!大爆笑なんですが…。
私の高校入学から、母はさらに一人ぼっちになった。「キッチンドリンカーになってやる」
と、わざと私の目に付くように、アルコールを飲もうとしていたことがあって、
わざとらしい様子が、馬鹿馬鹿しく、白けきった気持ちがした。
飲めば良いのだ。くだらない。
「お母さんやめて」と、言って欲しいのが見え見え。
この時ばかりは、どっちが親なんだと、うっすらと、思った。
でも、なんとも言わなかった。
感情は、封印されて育っていたので、
母に対しては、批判する気持ちはおし殺されていた。。無意識のうちに。
でも、心のどこかで、どうでもいいと思っていた。…無意識のうちに。
母は一人だった。
父は仕事で忙しい。ほとんどいない。
そして、唯一、当たり散らせる私が、家にいないのだ。
その頃、弟がどうしていたか記憶はない。
日曜日は、疲れて寝ているか、
遊びに行っていた。
電車に乗って、買い物をして、お茶を飲んで、
コンサートへ行って、部活をして、
楽しいことばかりだった。
外では、誰も、私を叱ったり怒鳴ったりしない。
高校は、自由な校風で、楽しかった。
母は、家で、一人。
夜遅くに帰ると、半べそをかいて下駄箱の靴や、雑誌やら新聞やら、
そこらじゅうの物を私に投げつけた。
ある時、
「誰も、いつも、いつも、いないんだから!」
と、母が思わず言った事があった。
え?と思った。
が、それ以上は考えなかった。
全てを、考えないように生きてきたので。…無意識のうちに。
母の気持ちなど、その場限りの対応をすれば良いことがわかってきていた。
はっきり言って、興味がないのだ。…無意識のうちに。
これで、母は、本当の孤独になったのだ。
甘えていた私にまで、もう、相手にされていない。
あ、かといって母を嫌いになったわけではないのです。
洗脳ゆえに、大好きだったのです。
オカシイですね。
が、不思議な「大好き」なのです。
表面だけ繕う形。…無意識のうちに。
母の気持ちなど一切考えない。…無意識のうちに。
考えていたら、気が狂ってしまうのです。
ブラックボックス。
もう母が怖くはなかった。いなし方がよくわかってきたから…。
私は、完全に、母専用の子守人形。
自分も、気がつかない。
他の人には対応できない。
母専用。
カスタマイズってヤツだ(笑)
お金は父の言いつけで、
際限なくもらっていた。
本や、美術館や、レコード、楽譜、コンサートへ行くお金はいくらでも与えろと
いう考えの父だった。
本屋で、文庫本は、「今日は三島由紀夫の、ここからここまで全部ください」
みたいな買い方をしていた。
これは今では、父に感謝しています。
学校をサボって、近くの工業高校の子にクルマで送ってもらっていても、
三島由紀夫、漱石、太宰、芥川、川端康成、…。夢中で読んでいた。
そりゃ、本当に、
変な子だった。
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コメント
2019/02/07 14:47 by URL 編集
No title
それは本当に良かったです。
親がいないって、大きく深呼吸できるような気持ちでした。
2019/02/07 19:16 by Dahlia URL 編集