2020/07/06
雪溶け
朝の、私と父の二人の時間「今日は、お前が、今そばにいてくれて…、本当にうれしい。ありがとう。」
「お父さんのお世話ができるのは、しあわせですよー。」
『俺は…。大いに…。うれしい。』
私は、熱のある父の胸に顔を埋めて、わからないように泣いた。
すると父は
『うれしい…』
『うれしいなぁ…。』
と何度も言った。
私は小さな頃のように、父の胸で気づかれないように泣いた。
この数日、この病の床で、父から、いっぱいの愛情をもらった。こんな長く一緒にいられて、私のずっと疼いていた心の奥の冷たい固い氷のような寂しさが、柔らかく溶けていくような気がした。
しかし、その晩から、容体は悪化し、この夜はほとんど眠れなかった。父は今までになく呼吸が苦しく、辛いという。朝まで、寝たり起きたり…。でも、朝方、私が布団を持ってきて横に寝たら、安心したのか、寝息が聞こえて来た。
そしてまた朝がきた。
とうとう恐れていた、癌性の痛みが起きた。手を振り回して、痛みを追い払おうとする仕草。意識があるのかないのかわからない。たまに目をカッと見開いて、意味のわからない何かを言う。
『もう、帰りたい。もう同じ事の繰り返した。こんな事は意味がない。もうなにもしないでくれ。もう嫌だ。』
『もう、やめだ。全部やめてくれ。』
『終わりだ。』
と、父は、うわ言を言った。普段絶対弱音を吐かない昭和一桁のひとの言葉に、冷や水を浴びせられたような気がした。
苦しそうな顔。脈絡のない事を話し始める父。
『大丈夫、一緒についているから。お医者さまを呼んだから。もうすぐ来るからね。がんばらなくていいから。』
しかし、昼間に母が電話して医師を呼んだが、ケアマネ経由だったためか、何かの手違いか、2時の往診は来なかった…。
私が直接病院に連絡。夕方になってようやく医師が来た。
即効性の薬を、使った。すぐに楽になったようで、痛みで強張って歪んでいた顔が緩んだ。
少し、眠る。
私もひと休み。
夜になり、ダダと息子が来た。
ぼんやりと起きていたので父に声をかけてみた。すると、こう言った。
『こんなに皆が集まったんだから…、アレが食べたいな。ほら…みんなで、ジューって焼いて…食べるの…。ほら、あのジューって。』
『お父さん焼肉だね!』
『ジューって焼いて、アレは、美味しいなぁ…。』
『ね。美味しいね。みんなでよく行ったね。』
『ああ、よく行った。』
上を見たら、肩を震わせて息子が号泣していた。
そしてこんな話を始めた。
『じいじ、小さい頃、宿題しさないと言われて…。僕は、僕は…じいじの部屋で宿題をしてたんだけど、勉強が嫌で、じいじの机で竹トンボ作ってたら…。そしたら…じいじが来て…。見つかって怒られるかと思ったのに、「あははは、サボってるな~」と、笑ってくれて、一緒にやろうって言って、竹トンボ作って遊んでくれたよね。じいじ、あの時、僕、宿題しなくてごめんなさい。今は、勉強をしっかりやってるから心配しないでね。』
『いいんだよ。お前は…社会人になるんだな。立派になれよ。会社は…競争も…ある。でも、自分に負けないって気持ちでなぁ…。 じいじもこれ(病)に負けない…。唇をギュッと閉じて、 今、頑張れば、きっと良い世界に行ける…。頑張れば、 絶対良いことがある。負けるなよ…。
あ、アレは、Em7のコード…。 わかったか。 家に帰れて良かったな…。』
もう意識が混濁している。
息子も泣きながら、ハグしてもらった。
痛み止めと強い睡眠薬で、ようやく痛みから解放されて、すやすや眠っている。
月曜日にはモルヒネを準備してくれるという
湿布のような貼り薬は一週間効くそうだ。これで、土日、痛みが取れたら良いのだけれど。
「でも、あまり辛かったら、睡眠薬を足してください。でも…、それきり、という事も覚悟で、睡眠薬は使ってください。もう、痛みに耐える必要は、ないです。もう充分がんばりましたよね。」
月曜日にモルヒネを使ったら、話はかなり制限されるそうだ。ぼんやりするそうだ。
でも、耳は最後まで聞こえるという。
「意識がないように見えても話しかけてください。きっとわかっていますよ。」
でも、もうたくさんのお話ができて、一緒にいられて、私は、悔いはない。
しあわせな時間を過ごすことができました。
この体験は、私の心をきっと溶かしてくれるでしょう。
これから生きるための、大きな勇気になるでしょう。
「自分は父には愛されていた」やっと、魂の底からそう思う事ができました。しっかりわかりました。
こうして肌に触れて、声をかけて、寄り添ってみたら、父は、本当の私を、わかってくれました。私に笑いかけてくれるようになりました。
すやすやと眠る父の温かい手。
情けない自分は、ようやく「甘えた子供の尻尾」がポロリと取れたような気がします。
人間万事塞翁が馬。
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