2020/06/16
この家のやり方
土曜日、考えた末に父のお見舞いに行った。<br>弟家族が来ていた。
挨拶もしない。何故だろう。
少し前に弟にこう言われた。
『お姉さんは、ダダの尻馬に乗って、なに不自由なく生きている。何にも考えないで、好き勝手に生きているじゃない。』
そう見えるのかしらね。そんなに私って悪いやつなのかな?
ひとの人生を見えるところだけで判断するのは軽率だ。どの人も他人には分からない苦しみを抱えて生きている、と、思うのだけれど…。
何にも苦労のない人などいるのだろうか?
挨拶もしない。口も聞かない弟家族。
これを見てすぐ横で寝ている父がどう思うか、考えているのだろうか?ここは、父の気持ちを一番に考えるのが本当ではないだろうか?オカシな話だ。
なにを怒っているのかわからない。機嫌が悪いという人は、甘えていると私は思う。黙っていて、機嫌が悪い。相手が察して傷つくのが愉快。相手に罪の意識を持たせて自分が上なように感じる。罰した気持ちになる。これは母と同じではないか。
こんな幼稚では、人生、大変だろう。残念だ。
こんにちは、と言ったら、こんにちはと言うのが、大人。っていうか、子供だってできるでしょう。誰のためのお見舞いだろう。父に心配をかけるのがわからないのだろうか?それ以上に私が憎いのか?
私は、弟になにをしたのだろうか?
いや、何も手伝わないと責めているのか?
でも、弟は、私が母に怒鳴られながらケアマネとの話しあいに主人と出ていることや、病院へ付き添っていることを知らないとは言わせない。
母からのアレがないコレがないという電話。それに対応して、夕方に電気毛布を買いに行け、加湿器を買って来いと言われて、なだめる毎日。なにを言っても怒鳴られて。それでも、お見舞いに行っている。
それを、どういう状況でしているかと、弟に、気持ちを話そうとすると、
『いいから!!聞きたくないから!!事実だけ話して!!』と語気を荒げる。これじゃ、まるでパワハラ上司だ。こんな人間力で会社ではうまくやっているのかと疑ってしまうほど…。
見かねて、息子が電話をかけたことがある。
私が母に怒鳴られて寝込んでいる時に…。
『母(私のこと)は、今、なにもできないかもしれないけれど、父と僕でやっていますから。三人で一人分ですけれど、やっていますから。母は具合が悪く、寝込んでいてここ数日、家事は僕と父がほとんどしています。母は家のこともできない状態です。だから僕たちで頑張りますので、わかってください。』と、憤る弟の言葉を強引に遮りながら、苦労して話をしていた。
でも、先日の退院の時、別れ際に、
『なんだよ、元気じゃん!!』『あはははは』
と、小馬鹿にしたように大笑いした声が駐車場に響いていた。
人に対して不満がある場合、まず、相手にも何か事情があるのかもしれないと思う事。そして実害がある場合には、
『私は、あなたにこうして欲しいのだけれど。もし無理なら何故できないのか、教えて。』
と、Nice and neat に、尋ねる。
お願いしてみる。それができないだけでこんなに人間関係はこじれる。ただ、そういえば良いだけなのだ。感じよく。簡単ではないか。
私は、弟が好きだった、でも、嫌われている。理由は不明。
でも、大丈夫。もうお終いだから。
大丈夫。
私には、自分の家族がいるから。
野生動物は、親兄弟と離れて、喧嘩して縄張りを出て行く。それと同じではないか。親だから、兄弟だからと、同じ縄張りにいようとしがみついているのは実は私だけだったということだ。
私は皆に嫌われていたのに、それを見ようともせずに、しがみついていたのだ。私は、無いものをあると思いたかっただけ。愛はない。
私が悪いのかもしれない。私って、ものすっごく悪いヤツなのかもしれない。
でも、「無視して、口を聞かず、不愉快な顔をして、相手にそう思わせて、悲しませる」というテクニックを使うのがこの家の伝統芸。そうなんだ。
私は、鹿。いつも自分で思う自分のイメージ。臆病な鹿。静かな山にいる。でも、あの家の人々は、魚なんだ。水の中で生きている。あそこでは、私は苦しくて溺れそうなのだ。
そんなことが、よくわかった。
毎日毎日、色々起こる。
今まで関わらずに済んでいた人間たちが、関わらざるをえない。
でも、私が、最後まで好きだったのは、父だけ。悔いが残るのはこそだけ。そこだけ残念だけど、その痛みは、心の中にしまって…。
よく整理して考えよう。大丈夫だ。
山の鹿は魚とは話ができないのだ。
弁護士に。全て弁護士に任せる。
ゆっくり休も。悲しいのって疲れるもの…。
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