2020/04/27
毒母、泣く
弟は、コロナウイルスの関係で、ゴールデンウィークに帰って来れない。そして、嘘ばかりつく毒母についに切れたそうだ。
父の介護から逃げている毒母に
心底愛想が尽きたと電話してきた。
そして、いい加減にしろと梯子を外したそうだ。
さて、毒母、相変わらずのヘロヘロ演技で
どちらが病人かわからない。
父はしっかりしている。
が、もう長くないと、私には見える。
毒母の恐怖。
それは、私に頼み事ができないこと。
今まで家族の病で泣いている人に対して、
『そんな暗い話は聞きたくない』とバッサリやってきたツケで
誰にも頼れないのだ。
よく言っていた。
『ご主人が前立腺癌って、どうってことないじゃないの。暗くって嫌になっちゃう。ったく、そんなので泣いたり吠えたり、みっともないったらありゃしない。』
ご主人がアルツハイマー、心筋梗塞、そんな方々に、鼻息荒くびっくりする様な対応をしてきたので、さて自分がこんな事態になったら、
誰にも弱音は吐けないのだ。
そして私にももちろん頼れない、そしてついに、弟にも梯子を外された。
弟は、私に
「これ、お母さんの時はもっと大変だと思うけど、お母さんひとりになったらどうしよう…。」
と言った。
そして、私に過去ばかり見ないで、もっと前向きに生きろと説教始めた。
過去を恨んでも仕方がないと。
病気の人の事を全く分かっていない人の発言。
「忘れればいいじゃない。」
それができたら、精神科に通う必要もない。
私が闘っているのは、対人恐怖、神経症、鬱。忘れたいと一番思っているのが自分。
『私は、あの人とあの家が絡まなければ、対人恐怖や不安症も、鬱も治りつつある。しあわせに生きられるところまで来ているの。でも、具合が悪くなるのはお母さんが、近づいて来た時だけ。だから、もう数年前に、名前も変えたし、もう先の事を見て、自分の環境を変えて、少しずつ距離を置いてきたの。そして、じいじが亡くなったら、もう、縁を切ろうと思っているの。自分を守るために。自分にかかった火の粉は自分で振り払うつもり。』
弟、絶句。
これは黙っていようと思ったけれど、仕方がなかった。
「お姉さんは、まだお母さんがなんとかなる、なんとかしようと、甘い望みを持っている」
「お姉さんは、過去ばかり見て、これからを生きようとしていない恨みの塊」
と、弟が言ったので、黙っておきたかったが、話すしかなかった。
もう数年前から絶縁の準備はしている。決して過去のうらみはを反芻するだけの私ではない。
これだけ皆に嫌われて邪険にされて、
私の人生にとって必要な人ではないもの。
毒母は、今、人生の借金取りに追われている。
裸足で逃げるがいい。
息が切れるまで逃げるがいい。
昔の幼い私が、そうだった様に、
誰も助けてはくれない。
今、台所に立つと、何をしたら良いか分からず。呆然としてしまうそうだ。何がなんだかわからないそうだ。
鬱でしょうね。それは。
でもなぜそうなっているのか、わかりませんか?
それはね、今までの人生で、冷たくしてきた周りの人に、助けてくれと言えないからです。「愚痴を言ってみっともない」と身内の癌の闘病を泣きながら話す友人を、一蹴し、
『私ならあんな泣き言は言わないでしっかり診る。馬鹿みたい。』と、直接、言っていたのです。見下していたのです。人の気持ちなんか1ミリも想像できず。
私は知っています。
そんな人たちに、SOSは出せません。私には何も頼めません。弟にも見放されました。自分の実兄弟とも絶縁中。四人いるが全てと絶縁。
鬱になっているのは、それが原因。
人生って、平等。
でもその借金は、アタシは返しませんから。
なめんなよ。
父に食事を届けたとき、毒母と二人っきりになった時に毒母がこう言った。
『私は、バカだった。本当にバカなことばかりみんなにしていた。』
『あら~、そんなのとっくの昔から知ってる。世界中みんな知ってることよー』
あははは。
気持ち悪いから泣いてんじゃねーよ。
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