2020/04/05
ここは、地獄家族
父が倒れた末期の胃癌で緊急手術。
もう胃と膵臓が癒着していて、お腹の中はどこまでが癌でどこまでが正常細胞かわからないほどだったという。
胃は全摘。
もうかなり転移もしているだろう。85歳。仕方がない。
これは、相当具合が悪かっただろう。
病院の手術控え室には毒母と弟家族、私の家族皆集まった。
何故か、弟は私のことが相当不愉快らしく、
正面に座り、たまに私の顔を睨む様に不愉快そうに見ていた。
いやいや、私、あんたになんかしましたかね!?
毒母が差別をしならが育てた兄弟は必ずと言って良いほど不仲になると、聞いていますが、ああ、やっぱり…。
そして私が何かを言うと、どんな小さなことでも
『いや、そうじゃない。』
『それは違う』と否定ばかりで話にならない。
私は弟がどんなに私を嫌っているかよくわかった。
でも、実際弟とは、話を数年していないので、何が気に入らないのか謎。きっと毒母からの入れ知恵だろう。どうでも良い。五十を過ぎて、大の男が、社会人として礼儀を持って振る舞えないのは、本人の問題。兄弟であっても、最低限の礼儀はあろうかと思う。
手術が終わって、
『これから、余命どのくらいだとか、癌が転移してるだの、そんな話はやめようよ。もう悪いものは取っちゃったし、全部きれいになったよ。もう治っちゃうから大丈夫って言おうよ!』
と私が言ったら
『そんな白々しいことは言えないし、そんな嘘は絶対言っちゃいけない!!オカシイ!!!治らないって本人だってわかるだろ!!嘘は絶対ダメだ!!』
と大きな声で気色ばんだ。
~~癌患者の気持ちなんかわかってないんだな。弟よ。青いんだよ。お前。治るよ!!って嘘でも言うのは、嘘と分かっていても、本人には希望になるのだよ。私は、癌サバイバー。そんな嘘だって希望になるのだよ。いくら白々しかったとしても…。
免疫力だって上がる。実際手術が終わって、「癌が全部きれいに取れたし、治るよと」言ったらホッとした様な顔をしていた。
どうせ毒母の入れ知恵を間に受けて皆で結託しているのだろう。
でも九州に単身赴任のヤツはこれからなにも戦力にはならない。
毒母よ、お前の味方は、九州へ帰るぜ。
嫁の悪口は散々言っていたので、何もしてくれまい。
私は、他の人たちは、もうどうでも良い。
私は生きているうちに父の顔をひと目見られれば良いと
それだけだった。
毒母は、フラフラだ。演技なのか歩けないフリをする。
弟が母を私の家に泊まらせてくれという。
いやだ。
案の定、来た早々、やれ布団が寒いだの、電気毛布がないかだの、
枕元にお茶を置いてくれだの、うるさくて仕方がない。
皆、5時から、夜中の2時まで病院へいて、寝支度をして3時だ。
くたくたなのに。うるさくて仕方がない。
余計な話もしたくない。
顔も見たくないいし、面倒だ。
これからひとりでどうやって生きるのでしょうね。
一泊で実家に帰ってもらった。
毒母よ。
私しゃ、知らんよ。
父の手術だから私はこうして病院へ駆けつけて。
父の顔をみて手を握って、励ましたけれど
あなたの時は、行きませんから(笑)
家で死んでいても、ほっておきますので。残念!!
翌日、ICUから一般病棟へ移った父を再び皆で見舞った。
弟は、何故か手土産を私に持って来た。
馬鹿じゃやないの!?
後で謝らなきゃいけないことをするんじゃない。
言ったことは消えないんでね。
そんなことより、
『昨日は悪かったね』と謝れる方がよほど立派だ。
かっこ悪い生き方をしている人だなと思った。
私は、もう、何を言われても、一切の意見を言うのをやめようと思う。気配を消そう。
何を言っても否定されるもの。
奴らにあと、会うのは、数回だ。
でも、もう父とは、覚悟を決めてお別れしたので。
これで急変などあっても良い様に、私は覚悟をした。そう言うつもりで、会って来た。
あ、これって、不安のサンドバッグ。
みんな不安でストレスなので、弱いヤツを叩くってこと?!
それが一番合点がいく。
黙っているのが一番。もう絶対意見は言うまい。
口をきくまい。ただ黙って微笑んでいるのが良い。
そう、忘れてはいけない。
ここは、
地獄家族
だったのだもの。
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