2019/11/17
父の老い
父は、最近起きている時間が少なく、食事の量も減ったそうだ。たまに粗相をしてしまうと、先日毒母から連絡があった。『ね、どこでもいいから、施設を探してくれないかなぁ?』
『なんでもいいのよ。あなたがいいと思ったところでいいわ。』
丸投げってやつですね(笑)
自分で決めたわけではないので、思い通りなところでなかったら、いずれ文句を言うだろう。そんな事は明々白々。
そして、父はといえば、プライドがあるのか、絶対に介護認定など受けないという。そうなると、毒母は、父を家で一人で介護することになるのだろう。
よくわからないけれど。。。
行政には助けてもらえないのだろう。。。
毒母は、私から、父に病院に行くように説得してくれという。
でも、私が言ったら大げんかだろう。
私は私が好きだった父はもう「過去のある出来事」をきっかけに死んだと、私は思う事にしたのです。
泣き明かしたその時の苦しみ、悲しみ。
父はその時私の中では死にました。
今生きているのは、知らない老人。
その私が猫の首に鈴をつける役なのかい?
幼い頃から、嫌なことは全て私がしてきた家。
毒母の入れ知恵で、丸めこまれた父と弟は私をあからさまに嫌っている。
二人とも、私とは話もしない。
ごめん、あなたたちは、私の中ではもう、過去の人。
毒母よ、自分で自分の首を絞めたね。
バカなんだね。
毒母は、尊大な女で、自分からは絶対に弱音を吐けないのだ。
強いわけでもないので、いつでも心は不満でいっぱい。
「行政に相談して、介護保険を使ったら良いと思うよ。何かあったらなんでも言って。できる事はやるから」
と言っておいた。
人生を自分の責任で生きていない人。
そういう人は自分の不幸を人のせいにして文句を言う。
自ら判断して、自分の責任で道を選び、そして努力してきた人は、案外スッキリ老後が愉しめるのではないかと、ふと思った。
自分がしっかりしているうちにライフプランは考えておくべき。自分で決めてこれからの事は自分で責任を持つ。不具合があったら自分のせいと覚悟すること。
『そういうことを知っている誰か友人なり、親戚に相談するといいよ。』
と、私は言っておいた。
でもね、バッサバッサと切ってきてしまった兄弟や、親戚、
大げんかした友人…
もう周りには誰もいないのだ。私はそれは知っている。
話を聞いて、何かあったらなんでも言ってね、
と、言っておきました。
幼い頃から、
「いい気になったり憎らしいことをしたら、お前を孤児院へ連れて行くからね。孤児院ってところはひどいところらしいよ。お前は拾ってきた子なんだよ。だからかわいくないの。孤児院って、すごいイジメがあるらしいよ。怖いね~。」
と言われて、私は育った。
その度に、夕方に、庭で猫を撫でながらいつも泣いていた。誰にもわからないように。でも、のちに私の唯一の友人だった猫を母は、汚いという理由で捨ててしまった。それから、私は、いつもひとりだった。
パンパンと雨戸を閉める音。私が庭で泣いているのを知っているのにだ。真冬でもお構いなしだ。
家には入れてもらえない。
でも、私は、弟と違ってこの家の子ではないから仕方がないと、そう思い込んでいた。
だんだん、悲しみも感じなくなってきた。
私は、それからずっと、身体の痛みを感じない人間に育った。いちいち痛がっていたら、悲しんでいたら、身がもたないのだ。被虐待児は全てそうだ。そして、自分が悪いから母親が怒るんだ、自分さえ良い子ならば、母親を苦しめないのに…と、自分を責める。生きているのも、息をするのも申し訳ないような気持ちで、育つ。
今、私は、
『お母さん、今に、あなたを介護施設へ連れて行くよ。介護施設ってとこはひどいところらしいね。ひどいイジメがあるらしいよ。』
と、心の中で、反芻する。何度も何度も。でも、決して声に出しては言わない。それが私の人間としてのプライド。ダダの妻として、息子の母としてのプライド。
「私はやられたら100倍にしてやり返してやる」
という毒母の口癖。
でも、五十年後にこんなふうに神様が100倍に返してくるなんて、想像もしていなかったのではないか?
結婚当初からずっとずっと不仲な両親。
老後になって、人生の集大成がやってくる。
私の家族は、優しいダダと、息子。本気で喧嘩などしたことがない。愛情たっぷりの温かい食卓。楽しい話声や、笑い声の絶えない家だ。明るい日の当たる家。花の咲く庭。楽しいこといっぱい。困難にも3人で頑張ってきた。誰かをいじめたり、何週間も家族のひとりを無視したり、不機嫌や、嫌味や、妬みや嫉妬や悪口やそんな事は全くない家。本当に感謝している。でもこれが私の家。私の家は、3人家族なんです。そしてハイジさん。それ以上入って来ないでほしいのです。毒親よ、あなたの居場所はここにはないのです。
もうあの不機嫌な陰気な家には戻りたくないし、関わりたくない。
自分の作った暗闇に私を再び引きずり込まないで。
私は、黙っています。心を強くまっすぐに持って。
私には、ダダや息子、ハイジさんがいる。理解して助けてくれる人がいる。
あなたをいじめる理由もありません。そんな暇もありません。
でも、私が裁いてやる必要はない。私は裁きません。
神さまが見ているのです。
虐待をし、人を苦しめた者が何の罰も受けないなんて
そんなのありえないんです。正義は勝つのです。
今世か来世か知りませんが自分のした事は、そのまま、いやいや100倍になってやってくるのです。
これは私の学び。
私は、仕返しをしない。
自分のために。ダダと息子のために。
虐待で命を落とす子供を、なぜ助けられないのかと、悔やむ人がいます。
でも、その時点でその子供の心はめちゃくちゃに壊れています。
命が助かっても、一生苦しみの人生です。
酷かもしれませんが、助からなかったとしても、その方が、しあわせかもしれないとも、思うのです。
その心の痛みを抱えて生きるのは並大抵ではありません。
叩かれた犬は絶対に人に慣れることはありません。恐怖と混乱の暗闇の中を生きるのです。
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コメント
お久しぶりです
悲しくて何日も泣いて、父が死んだら母とは縁を切ると心に誓ったものでした。結局そのあとも付き合っていましたが。
母が嫌っていた父方祖母の信仰のキリスト教系ホスピスだったのが気に入らなかったようです。関係ないのに変なことでこだわって怒り出して、馬鹿ですね。
今は母と関わる必要がなくなって、楽になりました。
年末に失礼しました。
来年、良い年でありますように!!
2019/12/31 23:39 by maya URL 編集
Re: 父の老い
コメントありがとうございます。
日本晴れの新春ですね。
お父様のホスピスを探す方も辛いのだという考えがないのですね…。
人の気持ちがわからないのでしょうね。
今、義母が具合が悪く主人がかなり気落ちしているのですが、
「葬儀には出席しなければいけないのか?」
「香典はいくら包むのか?」
と電話で聞いてきて、
今はそれは考えられないというと、
『アンタは冷たい!自分のことしか考えていないわがままだ!』
と絶叫して電話を切りました。
情けないやら、呆れるやら、で、
これからが思いやられます。
もう、中途半端に関わる事は無理と思い、
きっぱり縁を切る決断をしたいと思っています。
少しずつ揺らぐ心を決めて、決断したら、きっぱり切りたいと
思う新年です。
mayaさま、良い年になりますように✨
2020/01/01 12:19 by Dahlia URL 編集