2019/08/19
昔のことでしょう。
今日、ある方に、「昔のことはさっぱり忘れて、先のことを考えて生きましょう」
と言われた。理想はそうです。
でも、精神科治療歴二十年以上、対人恐怖症、鬱、不眠、自分の感情がわからない、訳も分からないような焦燥感で、三十年苦しんだ自分には、それは絵空事。それができたら、苦労はしない。幼い頃に壊れてしまった心。人のせいにばかりするのもなんですが…。
健康な人には分からない感情なのだとしみじみ思った。
どうしても私の生い立ちについて話さねばならない事態になり、仕方なく、少し話した。でも、理解はされなかった。私は、理解して欲しかったけれど、無理ではないか、という気もしていた。
言われたからといって私は、無理をするつもりはない。
心の病になり、無理を重ねて癌にもなった。
被虐待児の気持ちは、普通の人にはわかってもらえないんだなぁ。「昔のことは、忘れて…、」「考えてもしょうがないんだからもう、前を向いて…」と、言われても。。。(笑)
一番忘れたいと願っているのは、私自身。忘れたい。心からそう願っています。
でも何かの拍子に出てくる感情。
でも、私は、心の傷が疼くのを、人には隠して生きるしかないんだ。そう感じた。
事故で歩けなくなってしまった人に、なぜ歩く努力しないのか、と、責めているのと同じ。
もう足の神経は壊れてしまっているのです。
歩けるようになりたい。本人が一番そう思っているのです。でも、壊れてしまっている足。
精神疾患は、未だに理解されないんだなぁと、思った。
下半身不随の方に、「努力が足りない」などという冷や水の様な言葉をかける人はなかろう。
「心の病は、気持ちの持ち様、考え方次第。」それは、ね、あり得ない。
彼女も家から出されたり、大声で叱られたり、男兄弟ばかりを優先されたり、幼い頃には色々あったそうだ。「昔の家は大なり小なりみんなそんな感じだった。そういう時代だったでしょう。」と言った。
キツく叱られるとか、家から放り出されるとかよりも、もっと根本的な、「愛されている」という感覚の欠如、「あなたはいらない子だ」という刷り込み…。
「自分は存在しても良いのだ」という感覚が、私には、ない。
「どっかいっちゃえばいいのに。」
「大っ嫌い」
と朝起きると、すぐに言われた。
そして若い時はその言葉が朝一番で、頭に浮かぶことに苦しめられた。
朝起きると、誰かに大っ嫌いと言われる毎日。誰に言われるのか?それは、毒母から言われた言葉だが、それは私の中で、友人からの言葉の様にも変換され、さらに広まって世間様。世間の皆さまは、すべからく私を嫌っているのだと、思いこむ様になった。そんな、生きる苦しさ。
これで精一杯。しかもクスリの力を借りて生きている。
昔のことは、忘れて生きているけれど、その「昔のこと」の後遺症の対人恐怖や、鬱などを気持ちの持ち様で無くせと、言われても、そんな都合よくいくならばとっくにやっているし、何よりそれを望んでいるのは私だ。
どの人も現状が精一杯。
彼女も、悪気があって言ったわけではなかろう。
でも、私は、悲しかった。とても。
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