2019/08/19
ラスボス
出てきた。わかった、誰が、黒幕か…。
父は、五人兄弟の、下から二番目。兄弟にはそれぞれにお手伝いが一人づつついていて、みな、お手伝いに育てられたという。
戦後間もなく。横浜。スーツを着て幼稚園にクルマで送迎される父の写真を見たことがある。
まわりは、みな着物だった時代。幼い兄弟が黒いクルマの前で、蝶ネクタイに誂えのスーツ姿だった。
父は、親に育てられる事はなく、ツルというお手伝いが育てたそうだ。
私は、ツルに会ったことがある。古い家に住んでいるおばあさんだった。
ツルが長男の嫁をいびり、家から追い出してしまったという相談で家にやってきた。
ああ、このひとが、父を育てたんだ。狡そうな顔でお金お金と言っていた。
ツルは、父の名前をさん付けで呼んでいた。幼い私は、「年上なのに、変だなぁ」と思った。
でも今ならわかる。お金で雇われた親代わりだったのだから…。
父は、老いた。理性が効かない。思った事を口に出す。
先日、夏休みだからと、数時間実家に行った私に、
『なんだか、随分いいクルマに乗って、お金持ちだねーーー』
と、顔を歪めて言った。嫌な言い方。
お父さん、お父さんってこんな人だったの???
毒母とは長く喧嘩中だという。
『乗馬って、いくらくらいかかるんだ?サチコ、いいご身分だねーー、お前は、この世の春じゃねーかー』
意地悪。
私の苦しみなど、わかっちゃいない。私が馬に触るのは、温かみが欲しいから。馬鹿ほど表面しか見ないで人を評価するものだ。
私が心的外傷で、苦しんでいる事だって、知っているはず。でも、私の個人の性格が繊細すぎると、我儘すぎると、そんな風に解釈しているのだろう。
ああ、そうだ。そうです。私は、この災難を、自分の力で切り開く。人のせいにしないで、降りかかった火の粉を払いのけるつもり。できない時もあるけれど(笑)
だから、お願いだから、私が死ぬ思いで育てた「私という花」を摘み取らないでください。
乗馬は、私がピアノで働いたお金の範囲で行っている。それ以上の騎乗レッスンはとらないもの。
なのに…そんな事を、「いいご身分」などと、憎らしげに言う父。
でも、いい。私は、もう「サチコという名前」では、ないんでね(笑)
名前を変えたのだよ!知らないだろうけれどね。
横から毒母が文句を言う。
「お父さん、この前、熱中症で倒れたのよ。水を飲んでと言ったら、意地になって飲まなかったのよ。もうあの人大っ嫌い!」
ふーん。
相変わらず。
でも、数時間の我慢だ。
何故、年に二回盆と正月に行っているのかというと、社会人としての責任です。
老いた人が社会に迷惑をかけないように。
それだけだ。
火事を出したり、ゴミ屋敷にならないように、見ているだけ。
自分に負担のない範囲で。必要ならば、業者を頼む。
健康状態は、本人に任せる。
ああ、父よ。
幼い頃、観光地に遊びに行って、ボードに乗ったり、観覧車に乗ったりする時、母は必ず「やっちゃんと乗る!!」と、弟の手を取る。可愛いように抱き寄せる。
私は、決まって父と。
母は、一回も、私を選んだことはなかった。一回も。
その度に楽しい気分は消えてしまう。いつも…。
今思うと、父もしかなたく、私の隣にいたのだろう…。
似た者夫婦だ。
スキーも、ピアノも、英語でも、大学でも、私と張り合うような気持ちが父にもあった。どうしてなんだろう…。
子供を可愛がっていたようで、心の底では、子供をどう扱って良いのかわからない父だったのかもしれない。
父も愛情を知らずに育ったのかもしれない。
だから、面倒だったのだろう。この家が。
そういえば、私が、最初に鬱の診断を受けた時の引き金も、父からの強い言葉だった。
あの時も、「まさか、お父さんが…。」
そんな思いだった。
女性である毒母の叫び声よりも、男性の大声は、恐ろしかった…。
もう、昔のこと。
私の中では、もう親は死んでいる。
この家で起こることは、世間では、おかしな事なのだ。
あの家は伏魔殿。どこから何が出てきてもおかしくない!
『私は、もっとしっかり生きれば良かった。自分には何もない。やっちゃんも、もう帰って来ないし。生きてても仕方がないから、もう早く死にたいよ。』とつぶやく毒母。
ところが、命というものは、思い通りにはならないのだ。生きたくても生きられない人もいれば、死にたいからといっても、思い通りにはならない。命は、神さまが決める事。
それがあなたの人生。
でも、私は奴らに興味はない。
私は、自分の人生をしっかり生きるだけ。よく見ておこう。同じようにならないように。
人生の最期に、カッコ悪い生き方をしないように。
奴らは、他山の石だ。
私は、花の咲く、良い気の満ちた自分の家に、帰るだけ。
私は、きっと、一緒にボートや遊具に乗ってくれた父の事を、毒母よりも優しく感じていただけだったのかもしれないね。父が私を選んでくれたのではなく、「あまりもの」を仕方なく拾っただけ。
実際、父が、私と何かに乗ろうと言ってくれたこともなかったっけ。
カウンセラーも言っていた、お父様も同罪です。
やっぱりそうだったのね。
でも、そんなことはもうどうでも良いのです。
いくら考えても、嘆いても、過去は変わらぬ。事実を解明したら、もう、忘れてしまおうと思う。
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さようなら、お父さん😃🖐✨
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