2020/08/25
不思議な感覚
私には今、不思議な感覚がある。父の納骨が終わり、これで母とは会う事はない。弟は、遠くにおり、あの実家は消えた。
真っ黒い雲が一気に風に散って太陽が見える。
キラキラした光は、人生で初めて見る景色。
母とまともに付き合ったひとはこの世で私しかいないと思う。私は頭がおかしくなるくらい耐えてきた。母には、共感できるひとはもう誰もいない。けれども、私はもう自分の人生を犠牲にする必要などないのだ。
そして、言いたいことも全て正直に言った。
そして、父との誤解が解けて、父が世を去った。
父は、ほとんど家にいなかった。逃げていたのかなぁ…。母から。そしてまさか、虐待などがあるとは思ってもみなかったのだろう、そして、母が私を悪く言うのを鵜呑みにしていた時もあったのだろうと、思う…。
でも、最期の時を過ごす事で、私のことをわかってくれたと、私は思う。
さ、これで、お終い。
自分の大きな仕事が終わったような気がするのだ。なんだかわからないけれど。
納骨の日、弟のクルマから降りてきた母。
『お久しぶりでございます💢』と、私に切り口上でのあいさつ😳
『あ、こんにちは😃』私。
『あ、あ、〇〇ちゃん(私の息子)、元気だったァ~😃😃😃』嬉しそうに、笑顔の母。
すると、息子は、『あ、こんにちは。』と極めて儀礼的に目も合わせずに頭を下げて挨拶をした。母の顔に絶望感が広がる。母が喜びで息子に出した手を思わずひっこめた。
その時、母は、私のことを睨みつけた。「あなたの洗脳で、〇〇ちゃん(息子)まで私に冷たくするのね!」と言う感じだ。
いやいやいや違うのよ。あなたの父への看病の様子や、周りへの冷たさに息子もあなたを見切ったのだ。
父の兄弟が、「せめて最期に父に逢いたい」と泣きながら電話で言ったのにも関わらず、遠慮してくれと、なぜか言い切った母。「横須賀から、来るのは大変だから」というのが理由だそうだが、それを聞いた息子が、母に意見をしたのも、覚えていないのか…。
『ばあばは、あまりにも酷いよ。横須賀のおじちゃんの申し出をなんでそこまで断るの?!』と息子は言っていたでしょう…。
『いや、叔父ちゃんだって癌で動けないんだよ。迷惑じゃない。』
『何が迷惑なんだよ!先方が逢いたいって言ってるんだから!なんでばあばが断ったの?!』
息子は、怒っていた。
彼は皆に聞こえないように母を別室に呼んで、母に意見を言ったのだ。知っているよ、息子の声が泣き声だったのを…。
私はふすまの陰から黙って聞いていた。父だって聞いていただろう。
そういう人には、そういう人生の最後が来る。絶対に、してはいけないことをしてきた人は、そういう老後が待っているのだ。仕方ない、そこで学んでください…ということです。
そういう小さなことが、重なって、今の孤独があるのだ。
美味しいものを一緒に食べに行ってくれるひともいない。
母が悪口を言っていない人はいない。この世で会った全ての人の悪口を言って生きてきた。
もう、会うことはないでしょう。私には、これで人生やり切った感が、なんだかある。
これはどうしたことでしょう。
ピアノのお教室も、私が、親子関係で色々苦労してきたからこそ、わかることも多かったですし、様々な問題を抱える親子の関係もそこでも見てきました。多くのことを学べました。あの仕事は、自分の学びでした。
そして、コロナで、お教室も、長いお休み。これも、終わりになる気がする。
息子の就職も決まった。
ダダの仕事もひと区切り。
何故か、一気に色々なことが片付いて、人生が、終わったかのような錯覚さえする。
錯覚?いや、本当に、緑に森の奥から「dolceさん、これでお終わりました。お疲れ様」と、言う声が聞こえてくるかのような気さえする。
なんだろう、この感じ。
人生の山登り…。暗い森の中を必死で登ってきた。でも、今、ここに来て、急に大きく開けた場所に出て、キラキラした強い光に照らされて、私は、戸惑っている。
ここは、もう頂上なのか…?
今、次の登り道が見つからない。
いや、先は、もう下り坂なのか…。
苦しみから解放された不思議さ。
ひとりで、ぼんやりと、山に立っている様な気持ちがする。
この慣れない開放感にとても戸惑っているのだ…。
私は、これから、自分の心の中との葛藤ではなく、他のことに力を使おうかなぁ…。
わからないけれど…、人生が、違う方向へ変わっていくのかなぁ、と、感じる。