2020/07/06
ついに、私は虐待サバイバー
『「虐待後」を生きる ~癒えない“心の傷”~』というドキュメンタリーがNHKで放送されたことがあります。まず、虐待とは親子関係のこじれとか、親子喧嘩のエスカレートしたものではなく、レイプに近いと私は思います。
私は、実際レイプをされた経験はないので、これも想像ですけれど…。
レイプ被害者に、
『もう過去のことでしょう。もう引きずらないで、前を向いて忘れましょうよ。』
『先方にも何か事情もあったのでしょう、犯人を許すことで手放すこともできますよ。』
と、言える人は極めて極めて少数だろうと私は思います。
未来は過去の延長上にあります。
「許す」という事は、 被害者にとっては「自分の魂の死」と引き換えです。
人間であれば、それが一生ついて回るほどの恐怖と、魂の殺人に等しい苦しみと、著しい恐怖や心の痛み。そして、そんな忌まわしい何かを、心の中で、整理するという難題を抱えて苦しむだろうというのは容易に想像できます。心を整理できないひともいるでしょう。一生無理なひとだっているでしょう。苦しみで自ら命を断つひともいるでしょう。
虐待もレイプと同じです。されたことも苦しみですが、その後の地獄があるのです。
子供は親がいなければ生きていけない。非力な子供は生きる術がない。親を信頼したい。愛されていると思いたい。いや私が悪い子供であるからこんなに親を苦しめるのだ。申し訳ない、自分ってなんて嫌な人間なのだろう。母がかわいそうだ。自分さえいなければ…。
自分ってなんて汚くて、自分勝手で、嫌な子供なのだろう、と、そういうセルフイメージを小さな時代に心に刻みつけて、生きる為に親に迎合して生きるしかないのです。だから被虐待児は親に取り入る。親のサンドバッグになりながらも、『私の親は素晴らしい』と思い込んで生きる。
私も、本気でこう思って必死でやってきました。
数年間に大きく報道された、字が書ける様になったばかりの故 船戸結愛ちゃんの親への手紙
『ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりじぶんから きょうよりか
あしたはもっともっと できるようにするか
もうおねがい ゆるして ゆるしてください
おねがいします
ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして
きのうまでぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちやってきたことを なおします
これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだからやめる
もうぜったいぜったい やらないからね
ぜったい やくそくします』
この手紙に全てが書いてあります。平易な文の中に、なんとか親の機嫌をとらねば生きられぬ必死さ。親の気に入る自分になる事への必死さ。自己否定。ありもしない愛情を求める悲しさが、痛いほど詰め込まれています。
自分らしく生きる事を否定されて生きる事を、骨の髄まで強要されているのでしょう。
その後、彼女は殺されました。
しかし、かわいそうに世間の関心はここで終わる…。
問題は、ここです。普通の方は、ここで終わりと思うのです。
彼女は亡くなってしまったけれど、生きていたら、悲劇はこれからです。虐待後。この自意識の低さ、自己肯定感のなさで、自分が嫌いで、「嫌われて当たり前の嫌な自分」という強烈な自己イメージ。これと一生闘う。非常に苦しい人生になる。精神医療の助けが必要です。
私も、母の「心の面倒」を幼少時から命がけでみてきました。(機能不全家庭の立場の逆転と言う)
幼い私は親で母は最後まで幼児でした。親子と思えたことは一回もない。母の心の面倒…。ストレスの吐け口になり、サンドバッグとして使われる。暴言を耐える。意味のわからぬ叫び声の説教に口答えも許されず耐える。謝る。機嫌をとる。道化の様なことを言って気持ちをそらす。
「アンタなんか死んじゃって」と言われて、迷惑だから死にたいけれど、どうやって死ぬのか見当もつかなかったあの頃。死ぬという意味も分からなかったです。
でも、滑稽なことに親が大好きだった。~被虐待児はそう思うことが生きる術です。一種の洗脳です。
話をしていて誤解があるかな、と、何度か思ったので、参考程度に、気が向いたら読んでみてくださいね。
そしてふたつ目。私の心にあるのは憎しみや恨みではないんです。
被虐待児の苦しみは、恨みや嫌悪ではなく、自分との闘いです。
私達の気持ちは、「母さえいなければ…。母が憎い、大嫌い、恨んでやる。恨みを晴らしたい」…残念ながら、そんな、簡単なことではないのです。
被害者は長じて、問題は自らに内在化し、親は関係なく、もはや「自分の問題」となってくる。生きるのが精一杯で、親へのくだらぬ恨みの気持ちよりも「自分の心の葛藤と闘うことで、消耗しクタクタに疲れ果ててしまう。」酷いひとは、親の怒鳴り声の幻聴に悩まされるという。
それを親のせいではなく、自分が悪いと、自分を責めて生きるのです。
私も、親と住んでいた頃、そうでした。身体中に原因不明の湿疹もありました。幼い頃からずっと治りませんでしたが、大学へ進み親と別居をしたら、一ヶ月で跡形もなく完治でした(笑)
そして自分の大きな声で名前を呼ばれると鳥肌が立つという習慣?癖?なんだろう、そんなことに悩まされていました。
ブルースウィルスの「キッド」という映画…。
あの赤い飛行機の…。
学校で、虐められて以来、自分に自信のない初老の嫌われ者の独身男性、ひとりぼっちの主人公。夢を諦めたパッとしない人生に絶望していた。が、ふとしたことで、幼い頃に戻り、昔の虐めっ子に再び挑戦する。その惨めだった場面に戻って、いじめっ子ときちんと対峙し、ちゃんと喧嘩ができて、言いたいことを言い、やり返す。
そして再び現在に戻る。すると、なんと未来には、欲しかった赤いセスナに乗り、犬を飼い、伴侶を得て、素晴らしい人生を歩く「強い自分」になれていたのだ。だいたいこんな筋だったと思う。
私もこれをやったのです。
私が母を蹴ったのは、「自分の強さを自分で感じたかったから。」「弱い自分でいたくなかったから。」自分はもう、泣いてばかりの暗闇で膝を抱えた少女ではなく、お日様の下で堂々と意見をし、必要であれば、力も強く、自分はやっていけると自分に示したかったから。
プリミティブな方法が、一番です。
蹴る…。
産まれて初めてやり返しました。やってみたら、母は天地がひっくり返るくらい驚いていました。絶対に怒らないだろうと思っていた人が、暴力を振るったのですからそれはびっくりでしょう。
「私だって、強いのよ!!」
「私だって、負けないわよ!!」
って、思いました…。母は言葉ではわからないのかもしれません。ああ、非常に残念な人。
では、恨んでいないならば、なぜ、もう母と会えないのか?「それは恨みではないか、不仲ではないか。」と思うかもしれなません。
その理由は、簡単。自分を守るためです。もうこれ以上、あの人に甘えられるのは無理です。
もう、お付き合いはもう一切遠慮したい(笑)
最初に出したNHKのドキュメンタリーの最後は、こんなコメントで締めくくられていました。
『私たちは「虐待の現場」をなんとかしなくてはという認識しかありませんでしたが、その後に被害者がこんなに苦しむということは社会には認知されていません。虐待が増えている昨今、その後のフォローにもっとマンパワーとお金を使って行かないと、こういうひとの受け皿がない。虐待は増えている。これからこの様な虐待その後を生きるひとのサポートを考えていかねばならないと、今日初めて思った。」
正確ではないけれど、だいたいこんなことだったと思う。
私は、幼児期の記憶が断片的にないのです。人の脳は恐怖や限度を超えた体験を記憶から消すというすごい能力があるのだそうですね。
特に、身体的な虐待の記憶は切れ切れの場面しか記憶がありません。
今思うと、私は母を「親」と思ったこともありませんでした。「家族」と思った感覚もありません。意味不明で、いつ怒り出すかわからない「危険なモノ」という感覚でした。
ありがたい事に、親に愛されたいという願望は、父によって最後の最期に解決してもらうことができました。父が最期に命をかけて私を愛してくれました。今は、ここには、書けないけれど、私には父に深く愛されていたという事がはっきりわかりました。
私は、もう母の今後にも興味はありません。心配もありません。どうしているかな?なんて、思いません。多分将来も思わないと思います。
残りの人生は自分のために生きていきます。
家族の問題はケースバイケースで、一括りに話すことはできませんが、苦しみの中生きていらっしゃる方からもここにコメントをいただくことも、多くなりました。
よろしければ、ご覧になってください。同じ境遇の方はたくさんいます。
あなただけではないのです。ひとりぼっちじゃありません。
私は、癌サバイバー、であり、さらに虐待サバイバーにもなっちゃった(笑)✨
これから、トラウマが吹き出さない様に、気をつけて生きていきます。
この苦しみが終わる時が来るなんて、
まるで、夢のようです
✨✨✨✨✨✨