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ついに、私は虐待サバイバー

『「虐待後」を生きる ~癒えない“心の傷”~』というドキュメンタリーがNHKで放送されたことがあります。

まず、虐待とは親子関係のこじれとか、親子喧嘩のエスカレートしたものではなく、レイプに近いと私は思います。






私は、実際レイプをされた経験はないので、これも想像ですけれど…。


レイプ被害者に、


  『もう過去のことでしょう。もう引きずらないで、前を向いて忘れましょうよ。』
『先方にも何か事情もあったのでしょう、犯人を許すことで手放すこともできますよ。』


と、言える人は極めて極めて少数だろうと私は思います。







未来は過去の延長上にあります。
「許す」という事は、 被害者にとっては「自分の魂の死」と引き換えです。



人間であれば、それが一生ついて回るほどの恐怖と、魂の殺人に等しい苦しみと、著しい恐怖や心の痛み。そして、そんな忌まわしい何かを、心の中で、整理するという難題を抱えて苦しむだろうというのは容易に想像できます。心を整理できないひともいるでしょう。一生無理なひとだっているでしょう。苦しみで自ら命を断つひともいるでしょう。
虐待もレイプと同じです。されたことも苦しみですが、その後の地獄があるのです。


子供は親がいなければ生きていけない。非力な子供は生きる術がない。親を信頼したい。愛されていると思いたい。いや私が悪い子供であるからこんなに親を苦しめるのだ。申し訳ない、自分ってなんて嫌な人間なのだろう。母がかわいそうだ。自分さえいなければ…。




自分ってなんて汚くて、自分勝手で、嫌な子供なのだろう、と、そういうセルフイメージを小さな時代に心に刻みつけて、生きる為に親に迎合して生きるしかないのです。だから被虐待児は親に取り入る。親のサンドバッグになりながらも、『私の親は素晴らしい』と思い込んで生きる。







私も、本気でこう思って必死でやってきました。








数年間に大きく報道された、字が書ける様になったばかりの故 船戸結愛ちゃんの親への手紙


『ママ もうパパとママにいわれなくても






しっかりじぶんから きょうよりか






あしたはもっともっと できるようにするか






もうおねがい ゆるして ゆるしてください






おねがいします






ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして






きのうまでぜんぜんできてなかったこと






これまでまいにちやってきたことを なおします






これまでどんだけあほみたいにあそんだか






あそぶってあほみたいだからやめる






もうぜったいぜったい やらないからね






ぜったい やくそくします』


この手紙に全てが書いてあります。平易な文の中に、なんとか親の機嫌をとらねば生きられぬ必死さ。親の気に入る自分になる事への必死さ。自己否定。ありもしない愛情を求める悲しさが、痛いほど詰め込まれています。


自分らしく生きる事を否定されて生きる事を、骨の髄まで強要されているのでしょう。





その後、彼女は殺されました。




しかし、かわいそうに世間の関心はここで終わる…。
問題は、ここです。普通の方は、ここで終わりと思うのです。


彼女は亡くなってしまったけれど、生きていたら、悲劇はこれからです。虐待後。この自意識の低さ、自己肯定感のなさで、自分が嫌いで、「嫌われて当たり前の嫌な自分」という強烈な自己イメージ。これと一生闘う。非常に苦しい人生になる。精神医療の助けが必要です。


私も、母の「心の面倒」を幼少時から命がけでみてきました。(機能不全家庭の立場の逆転と言う)
幼い私は親で母は最後まで幼児でした。親子と思えたことは一回もない。母の心の面倒…。ストレスの吐け口になり、サンドバッグとして使われる。暴言を耐える。意味のわからぬ叫び声の説教に口答えも許されず耐える。謝る。機嫌をとる。道化の様なことを言って気持ちをそらす。


「アンタなんか死んじゃって」と言われて、迷惑だから死にたいけれど、どうやって死ぬのか見当もつかなかったあの頃。死ぬという意味も分からなかったです。




でも、滑稽なことに親が大好きだった。~被虐待児はそう思うことが生きる術です。一種の洗脳です。






話をしていて誤解があるかな、と、何度か思ったので、参考程度に、気が向いたら読んでみてくださいね。


そしてふたつ目。私の心にあるのは憎しみや恨みではないんです。


被虐待児の苦しみは、恨みや嫌悪ではなく、自分との闘いです。
私達の気持ちは、「母さえいなければ…。母が憎い、大嫌い、恨んでやる。恨みを晴らしたい」…残念ながら、そんな、簡単なことではないのです。




被害者は長じて、問題は自らに内在化し、親は関係なく、もはや「自分の問題」となってくる。生きるのが精一杯で、親へのくだらぬ恨みの気持ちよりも「自分の心の葛藤と闘うことで、消耗しクタクタに疲れ果ててしまう。」酷いひとは、親の怒鳴り声の幻聴に悩まされるという。



それを親のせいではなく、自分が悪いと、自分を責めて生きるのです。




私も、親と住んでいた頃、そうでした。身体中に原因不明の湿疹もありました。幼い頃からずっと治りませんでしたが、大学へ進み親と別居をしたら、一ヶ月で跡形もなく完治でした(笑)


そして自分の大きな声で名前を呼ばれると鳥肌が立つという習慣?癖?なんだろう、そんなことに悩まされていました。







ブルースウィルスの「キッド」という映画…。



あの赤い飛行機の…。
学校で、虐められて以来、自分に自信のない初老の嫌われ者の独身男性、ひとりぼっちの主人公。夢を諦めたパッとしない人生に絶望していた。が、ふとしたことで、幼い頃に戻り、昔の虐めっ子に再び挑戦する。その惨めだった場面に戻って、いじめっ子ときちんと対峙し、ちゃんと喧嘩ができて、言いたいことを言い、やり返す。



そして再び現在に戻る。すると、なんと未来には、欲しかった赤いセスナに乗り、犬を飼い、伴侶を得て、素晴らしい人生を歩く「強い自分」になれていたのだ。だいたいこんな筋だったと思う。






私もこれをやったのです。






私が母を蹴ったのは、「自分の強さを自分で感じたかったから。」「弱い自分でいたくなかったから。」自分はもう、泣いてばかりの暗闇で膝を抱えた少女ではなく、お日様の下で堂々と意見をし、必要であれば、力も強く、自分はやっていけると自分に示したかったから。


プリミティブな方法が、一番です。


蹴る…。


産まれて初めてやり返しました。やってみたら、母は天地がひっくり返るくらい驚いていました。絶対に怒らないだろうと思っていた人が、暴力を振るったのですからそれはびっくりでしょう。


「私だって、強いのよ!!」


「私だって、負けないわよ!!」


って、思いました…。母は言葉ではわからないのかもしれません。ああ、非常に残念な人。






では、恨んでいないならば、なぜ、もう母と会えないのか?「それは恨みではないか、不仲ではないか。」と思うかもしれなません。


その理由は、簡単。自分を守るためです。もうこれ以上、あの人に甘えられるのは無理です。


もう、お付き合いはもう一切遠慮したい(笑)










最初に出したNHKのドキュメンタリーの最後は、こんなコメントで締めくくられていました。
『私たちは「虐待の現場」をなんとかしなくてはという認識しかありませんでしたが、その後に被害者がこんなに苦しむということは社会には認知されていません。虐待が増えている昨今、その後のフォローにもっとマンパワーとお金を使って行かないと、こういうひとの受け皿がない。虐待は増えている。これからこの様な虐待その後を生きるひとのサポートを考えていかねばならないと、今日初めて思った。」
正確ではないけれど、だいたいこんなことだったと思う。






私は、幼児期の記憶が断片的にないのです。人の脳は恐怖や限度を超えた体験を記憶から消すというすごい能力があるのだそうですね。
特に、身体的な虐待の記憶は切れ切れの場面しか記憶がありません。



今思うと、私は母を「親」と思ったこともありませんでした。「家族」と思った感覚もありません。意味不明で、いつ怒り出すかわからない「危険なモノ」という感覚でした。


ありがたい事に、親に愛されたいという願望は、父によって最後の最期に解決してもらうことができました。父が最期に命をかけて私を愛してくれました。今は、ここには、書けないけれど、私には父に深く愛されていたという事がはっきりわかりました。


私は、もう母の今後にも興味はありません。心配もありません。どうしているかな?なんて、思いません。多分将来も思わないと思います。


残りの人生は自分のために生きていきます。


家族の問題はケースバイケースで、一括りに話すことはできませんが、苦しみの中生きていらっしゃる方からもここにコメントをいただくことも、多くなりました。


よろしければ、ご覧になってください。同じ境遇の方はたくさんいます。
あなただけではないのです。ひとりぼっちじゃありません。






私は、癌サバイバー、であり、さらに虐待サバイバーにもなっちゃった(笑)✨
これから、トラウマが吹き出さない様に、気をつけて生きていきます。






この苦しみが終わる時が来るなんて、
まるで、夢のようです
✨✨✨✨✨✨








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爬虫類

母は謎でした。

幼い頃から、食べ物も、一緒に食べると美味しいと思えず、いつ何を怒り出すかわからないので、私は、恐怖でお腹が空いたという感覚がわかりませんでした。


美味しいという感覚も分かりませんでした。


食べたいという感覚も分かりませんでした。


悲しいも、愉しいも、最後には怖いも分からなくなっていました。


心を封印しないと一緒にいられないのです。






常に、謎でした。






今の気持ちを、誤解を恐れず言うならば、


「何を考えているのかさっぱりわからない気味の悪い爬虫類を仕方がなく飼っていたが、それをもらってくださる奇特な方がいらして、譲ってホッとした」という感覚です(笑)


その爬虫類には、愛着もあまりなく、っていうか、無く(笑)一応「生き物」なので世話していたが、なんだか、やたらと噛みつくし、攻撃してくるし、心は通じないしで、気味が悪いが、飼っていたという感覚です。






所謂、「機能不全家庭」というのは、悲しいかな、そういうものなのかもしれません。


大事な人生の先輩から、心を込めたアドバイスをいただき、「うん、それもありかな」と、色々考え、自分なりに、母の良いところを探す作業もしてみようかと思いましたが…、爬虫類の森に再び踏み込むと私自身のトラウマが湧き出してしまい、具合が悪くなりそうなので、今は、まだやめる事にしました✨






もう、静かに蓋をして二度と開けないで、そのうち朽ちるのを、遠くから…、


いやいやいや、もう見ないで、おこうかな…(笑)


でも、みなさまからの心温まるコメントや、アドバイスに感謝でいっぱいです。いつでも視野は広く、そして、柔らかい心でいたいとおもっております🌼✨






これからは、父のお墓にだけはきちんとお参りして、感謝を忘れないでいこうと思います。納骨の日には、カサブランカをひと抱え、持っていこうと、思っております。


インドのヴァラナシで見つけたお香を焚いてあげようと思っています。ガンジス川に流れる遺体を弔うヴァラナシの「街のお香」だそうです。










そして、もう、私は、母の心のサンドバッグ役は終わりにできる、あと少し…。








今日、畑に行ったら、ひまわりが


こんなに…。




みんなかわいい。
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閉鎖病棟へ

母は、受診の翌日、精神科へ入院が決まった。攻撃性が強く、なんらかの大きな精神の病の可能性が高いという。認知機能に問題はないという。計算も、そのほか色々も全く問題ないという。





演技だったのだ…。








が、それまで、私の家に1泊、預かる事になった。








アルツハイマーではないとの診断に母は、何故かご機嫌で家にやってきた。
『来たよ~!』




は?










もう、これまでの私達の苦しみや父を亡くした悲しみなど、すっかり忘れたその笑顔。






夕食後、私は母に、こう言った。





「幼い頃、「ああ、昨日はdolceを叩き過ぎちゃって手が痛いわ」と近所のおばさんに言っていたあなたは、これからどんな死に方をするんでしょうね。
逆に考えたら、そんな悲しい事さえしなければ、人生ってしあわせに生きれるんだって、すごく勇気が湧いたわ。そんなの簡単だもの。」




こう言ったけれど、すっとぼける毒母。




『あなたは嘘つきだったから。昔から。おかしかったから。』




と私に言った。ヌケヌケと。








さすがに、もう、冷静ではいられなかった。、心の中の事を全部言ってやった。最後は怒鳴り声になっていた。全て聞いた後に、母は、


「一生懸命育てたつもりだけれど、育て方を、間違えました。すみませんでした。」


と、言った。大根役者のセリフのようだった。


そう言い終わって、膝を崩そうとした母を、私は、咄嗟に、思い切り足で蹴ったのだ…。




なんということ…。




部屋の外で息子が止めようとしている声がする。




でもダダが、言っている。


『怒りを全部出させて楽にさせてやろう。止めたら、かあたんがかわいそうだ。やらせよう。かあたんの気持ちが大事だ。』




私は、何回か思い切り母を蹴った。
泣かない母。
泣かないんだ。


そのうち、なんとも、馬鹿らしくなった。





馬鹿みたい…。




『私はもうあなたに名前を呼ばれるのが嫌だから名前を変えたの。お父さんは悲しむと思うから黙っていたの。もう私は〇〇じゃないから。』


『なんて名前なの?』


『教える気はない。あなたにはもう呼ばれたくないから。』






「さ、病院へ行くよ。時間だよ。」

ダダの声がした。




外は大雨だった。
母は、名残惜しそうに私の家を見渡していたが、私は、

『もう、二度と来ないで!』
と、叫んでいた。喉が枯れるほど…。








自分の非情さに、自分で驚いた。でも母は平然と帰って行った。
息子が傘を差し掛けて母に付き添う。








雨の朝。








忘れていったのか、布団の横にバッグがあり、中には、封の切っていないお札の束がいくつか入っていた。まだ隠していたのか…。
ああ、また相続の書類を書き直さなきゃならないじゃないの…。
お金…。こんなものは、人生の最後にはなんの役にも立たぬ紙切れだ。






人生で一番大事なものに、値札はついていないんでね。


















実家へダダが送ると、母は、待っていた弟に、昔、五十五年前に、虐待はあったのか?と聞いたそうだ。
『ひどい言葉の虐待と、暴力と両方あった。お姉さんにだけ。僕はされていない。』
と答えたそうだ。
母は、そんな事、ありえないと首をひねったそうだ。




ああ、疲れた。もう、早く何処かへ消えて。


もう、二度と絶対そばに来ないで!








弟が、安い施設を見つけて、そこに入れる様に話を進めている。そこへ入れるまでは、精神病院に入院。しかも閉鎖病棟だそうだ。






私は、朝、母が帰ると、眠ってしまった。
起きたら、もう夕方だった。




とてもぐっすり眠れました。
起きたら、
息が深くなり、お腹の底まで空気が入る気がする。
今までは、呼吸が胸でつかえていたのか、わかりませんが、呼吸が深く、なんだか、今までと感じがする…。




心の傷ってこんななんだ。ここまでなんだ、と愕然とした。




あと少し…あと少しで全てが終わる。
落ち着け、と、自分に言い聞かせる…🦋

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遺産相続が終わり、帰宅したら居間で失禁し、抜け殻のようになった母。明日、精神科へ予約を取り、連れて行くことにした。




お金って、そこまで大事だったんだ。半分あるじゃない。それでも不満なんだ。


実は、父には遺言書があった。そこには『全財産を妻に相続させる』とあった。
~どうせ母が書かせたものだ。そこに座っていた誰もがそう思っただろう。




しかし、父の生前に母が大量に下ろしてしまったことで、相続ではなく贈与になり、(詳しくはググって調べてくださいね(笑))そのまま母に渡るとものすごく課税されてしまうことが分かり、弟が、それでは、「非常にもったいないので、法に則って分けよう」と言ったのだ。私も、それが普通の判断だと思った。


そりゃ、お金はないよりあった方が良いけれど、自分の血肉になる様な使い方をしない人には、お金なんかただの紙切れだ。人に貢献できる人にならなければ、お金はついてこないんだなぁ、と、しみじみ思った。


人や自分の、心や、頭が豊かになるために使えない母は、お金を持っていても、神さまが、『あなたには不要です』と言ったかの様に、一瞬で、半分がすり抜けて無くなってしまった。
でも、まだ半分あるから大丈夫。といくら言っても、何度言ってももう反応もない。




昔から母は、よく言っていた。



『面倒みてくれた人にだけ、遺産をあげる。みてくれなかったら、絶対にびた一文あげない。どこかに寄付するからね。絶対だから!』と…。
私も弟も、いくらもらっても、母の介護はしたくないと、心の中では思っていた。






父が生前贈与をしようと言い始めた頃にも母はそれに猛反対をしていた。

私たち兄弟をお金さえあれば、思うようにできると信じていた。自分のしてきたことなんて、すっかり忘れて。人間は、お金だけでは動かないのを知らないのだろう。




因果は巡る。

恐ろしいくらいだ。




人生で、自分のしたことは、必ず返ってきます。







幼い頃の私の自画像。どれこもれも泣き顔でした。






これは母に、ものすごく怒られたのを覚えています。この絵を見た母に怒鳴られて突き飛ばされて、怖かったのをよく覚えています。
母には、『笑った顔を描きなさい!!』と、言われたけれど、幼稚園では、「いつもの自分の顔を描きなさい」と言われたのだ。


~きっと、こんなことも、母は忘れてしまっているのだろう。






ああ、あれは、全部父に集まったお金だったのだ…。


父を活かして、父を豊かにし、人の為に活動させる為に神さまが集めてくれたお金なのだ。
良い使い方をできる人でなければ、お金は羽をつけて逃げてしまうのだなぁ…。




私は、お金には意志があり、徳のないところにはいたくないのだと思った。
私は、信仰している神さまはいないけれど、神さまって絶対いると思った。





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二つの紙袋

『そこの紙袋にお金が、たくさん入っているの。お葬式代。』







と母が言った紙袋には、家が買えるほどの1万円札が入っていた…。お葬式は簡素にと遺言にあったので、お金はそんなにかからなかった。




『紙袋は二つあるの。もう安心ね…。』
奥にも、もうひとつ同じ紙袋。この現金と一緒にいたと言うことなのか…。


これをいつ下ろしたのかと聞いたら、父が倒れてからすぐにだそうだ。銀行を呼んで、持って来させたそうだ。よくも、そんな時に、お金お金と、銀行巡りをして…。こんな事になっていたとは、情け無くて、涙も出ない。一回で下ろせないものは、日を分けて下ろしている。父が苦しい時に。




オムツ交換もしないで、身体を拭いてやることもしなかった。部屋は異様な臭いがしていた。


花もない、何か音楽を聴かせるでもない。ほったらかしで、ただの水を水道からペットボトルに入れて、ベッド脇に置き、頭をあげる事もせずに、寝たまま飲ませていた。その度に苦しくてむせる父。


それを、枕元で、立って見ていた母。緑茶だって、紅茶だっていくらでもあるではないか!自分は飲んでいるではないか!なのになぜ父には、いつ汲んだか判らぬ様なぬるい水を飲ませているのか…。






ケアマネが、私に毎日オムツの交換だけしに来いと言った。そんなに疲れているのならと、泊まり込んだ。




でも、なんだよ、それ!
父の看病はできないが、銀行は行けるのか!!










人間の屑…。






田舎なので、家はいつも鍵をかけない。夜の門灯ももったいないので付けないでくれと言う。真っ暗な玄関。
暑かったら窓を開けて寝る。






これが、3か月も家にあったのか…。今日も弔問客が引きを切らない。対応にてんてこまいだ。名前もわからない人がどんどん上がってくる。それなのに…。




怒りで、手が震えた。





父の働いたお金を…と、思ったら情けなくて、情け無くて…。
通帳に入れて金庫に入れておいたらまだ安心なのに。。。




とにかくこの現金は、銀行へ入れないと怖いから、と、私が、持ち出そうとしたら、
『持って行かないで!!大丈夫!そこに置いといて!!』と言って、母は、非常に怒った。






まるでルパン三世のように大きな袋二つに札束を持って近くの銀行へ、震えながらクルマに乗り込んだ。
銀行で、事情を話すと、別室に通されて、説明を受けた。




父が生前下ろしたものなので、今私の口座にとりあえず入れて、後で相続しようとしたら、それは、「相続」ではなく一回私に「贈与」することになってしまうので、ものすごい税金がかかってしまうと言う。
貸金庫も、今日すぐにはできないと言う。




なんという事。








結局、自宅で保管するしかないという結論だった。
泣きたくなった。






仕方なく、一回、東名高速で自宅に帰り、息子が家に運び、家の雨戸を全部閉めた。二階の電気は二十四時間つけておく事、息子が外出禁止で、留守番をすることを言いつけて、再び実家へ。

怖かった。


全て自分のものにしようという老婆の猿知恵。それが裏目に出て、このお金を




すぐに相続しなければ




銀行へ入れられない






という恐ろしい事態になったのだ。






冷蔵庫の中身は全部腐っていた。が、それを昼に食べている。
『これは腐っているよ』
と言うと、怒り出す。
あればあるだけ食べてしまう。
そしてグーグー眠る。
何か指摘すると、烈火の如く怒る。








弟によると、父が亡くなった時、

母は、もう、
『息、してないね。』


と言ってベッドの横にしばらく立っていたが、寝室に行って、布団に入ると、すぐにいびきが聞こえたと言う。弟は、それを見たら、もう何もしたくなくなったと言う。こんなに必死でやっているのが馬鹿馬鹿しくなったと言った。もう、嫌になった、と、泣いた。


葬儀の翌日だ。情けない。
こんな中、遺産を相続か…。




急いで遺産リストを作り、印鑑登録をしに一回帰って、再び実家で書類を作り判を押し、すぐに銀行を回って、それぞれの口座におさめる事になった。




帰宅したら、母は、失禁してしまった…。


続く…。
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葬儀にて

~お父さんへの感謝状、退院に際しての私の手紙…。





小さな頃、お散歩に連れて行ってくれて
野の花を摘んで、ススキの葉っぱでリボンを作って花束にして、私にくれてありがとう。いつもとてもうれしかったです。




土手に咲いた花をとってくれと言ってわがままを言った時、ずるずる滑りながらその花を摘んできてくれてありがとう。そんなことを私はよく覚えています。




ピアノを習わせてくれてありがとう。




ナックで、肩に花の刺繍のたくさん入ったグレーのセーターを買ってくれてありがとう。大事にとってあります。








とても可愛がってくれてありがとう。




縁側であぐらをかいて、お天気の良い日に私を膝に乗せて丁寧に爪を切ってくれましたね。








小田高へ一緒に行けてすごくうれしかったです。




長嶋茂雄に会わせてくれてありがとう。




野球を見に連れて行ってくれてありがとう。




富士宮で行ってみたかった料亭に連れて行ってくれてありがとう。




たくさん本を買ってくれてありがとう。




ゴルフを教えてくれてありがとう。




木工細工できれいな裁縫箱を作ってくれてありがとう。




いろんなことを教えてくれてありがとう。








いつも生きる姿を見ていました。




寒い冬の日、熱があっても、何があっても会社に行く姿を、今でも覚えています。




お父さんの仕事に対する取り組み方を私は見ていました。




私も人のために一生懸命仕事を続けています。お父さんの様に。お金はちょっとだけど、みんなに喜んでもらうことが、今、自分の喜びです。




お父さんが、真摯に地味に、そして、どんな時もまわりのために尽くしていた姿を知っています。




ギターの会でも、楽譜を作り、全員の分をコピーをし、皆に配る、そんなお父さん。




かっこよくて、おしゃれで、スポーツ万能で、努力家で、頭がよくて、
優しくて、お父さんは私の自慢のお父さんです。




少ししたら、ナッシュと行った運動公園にお散歩にいきましょう。




そして、私が馬に乗る姿も見に来てください。




私の仕事ぶりもお父さんに見て欲しいです。




もうピアノ教室は二十年続いていますよ。私のライフワークです。




それだって、ピアノを習わせてくれて、
仕事をする厳しさを黙って背中で見せてくれた、
お父さんのおかげです!




ゆっくり休んでね。






退院の時に書いた私の手紙。


最後に退院のお祝いの言葉を書いたが、削除してあった。


葬儀で、何か手紙でも披露しましょうと葬儀屋との打ち合わせで言われ、ダダが渡してしまったものだ。司会が代読してくれました。






しかし、代読した人がつっかえつっかえで…。私、なんだかオカシイと思っていました…。帰りに担当者がすっ飛んで来た(笑)


『すみません…泣いてしまいました。お式でのご長女さまの姿や、お式のご様子など拝見してこれを読んだら、つい…。プロとして、恥ずかしいです。お許しください。』


今日、一番泣いていたのは、息子とダダだった…(笑)あはは。


『いえいえ、父は退院の時、一回読んでおりますので、父には伝わっていますので、大丈夫ですよ。』
と、私。大丈夫よ…平気。




遺言で親族のみの無宗教のお香典もご辞退の歓談のみのお葬式でしたが、
写真をみんなで見て、愉しい話で大笑いしたり、父の逸話にびっくりしたり。


『dolceちゃん、不謹慎だったかもしれないけど、とっても愉しいお葬式だったよ』まーちゃんが言ってくれた。




『dolceちゃん、本当に良いお葬式だった。』たーちゃんが、泣きながら言ってくれた。




『昔よくやった新年会みたいで、本当にパパたち楽しそうだったね。』




『dolceちゃん、葬儀屋さんって泣く時もあるんだね。(笑)』
『本当本当(笑)』










ありがとう。お焼香も、お経も何にもないけれど(笑)














お花は百合と薔薇で真っ白にした。






会場は百合が静かに強く香っていた。

お花だけはたくさんたくさん飾りたかったから。




百合ってすごい。こんなに香るのね…。










歓談中は、父の演奏したクラシックギターと、フルートを流した。
ゴルフやスキーの写真、フルートやギターを演奏ているところの写真を大きく伸ばしていっぱい貼って、賑やかにした。
父の幼い頃の横浜の家の時の写真を見たら親戚が愉しいかと、八十年前のアルバムを用意した。
それを見て、皆、話に夢中。思い出の話。愉しい話ばかり。大笑いもたくさん。
私もいっぱい笑っちゃった。
そして出棺は、大好きだったアランフェス協奏曲の2楽章。




そして、出棺の時…
私は、クルマの窓から生前の父のマネをして大きくみんなに手を振った。





親戚のおじちゃんおばちゃん、いとこたち。驚く事に、笑ってニコニコで手を振ってくれた。なんだか、みんなかわいい(笑)
隣で、絶対、式で泣かなかった純ちゃんが大泣きしていたのが、車窓から見えた。
人っていいな…。
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最期のまで、かっこよかったよ。

私が一時帰宅をした間に父は逝った。


弔問に来てくださったケアマネに、こう言っていただきました。




「家で看取れて、よかったですね。お母さまがお嬢さんに嫉妬するくらい、お父様がお嬢さまにべったりでしたね。お水も、お嬢さまが差し上げると、お父様は、本当に嬉しそうにしていらっしゃいました。


お嬢さま、とても良い看取りをされましたね。
お父様はとても、うれしかったと思いますよ。


スタッフも見ていて、良い看取りだと、皆、言っていました。」






看護師さんが髪を洗ってくださって、すすぐ時に私と息子の方へ顔を向けた時、父の顔が、笑った。
枕の関係か、何かの偶然だろうけれど、ニコッと笑った。
息子と泣いてしまった。








こんなハッピーエンドが来るとは、思わなかった。
父は、私の心に、しあわせをいっぱい置いて行ってくれました。


短かったけれども、本当に素敵な介護ができました。
私にとって、とても大事な思い出ができました。




スタッフのみなさんが帰ったあと、私は、すぐに父の胸についたモルヒネのパッチを剥がして、睡眠薬と痛み止めの薬を、捨てた。




お父さん、もう痛くないよ。良かったね。




これからもずうっと、ずうっと
大きなお星さまになって私を照らしてね。




父がよくしていた仕草。
OKって👌してくれている気がする。

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お見舞いお断り

もう親族を呼んだらどうかと言う話になり、葬儀をコロナがあるから家族葬で、と言う話ならば、父の兄弟四人に連絡をし、



「コロナで葬儀は、内輪になるので、もし、お別れをしたいと思ってくださるならば、今のうちに…と、連絡を入れていた方が…」と、母に言った。




しかし、実際電話した母の話はこうだった…。




「もう、主人が、そろそろで…。でもね呉々も、お見舞いなどは…。もう大変だから。コロナですし、お互い様にしましょう。私の体調は……云々……。(ここが最も長い)で、もう皆大変だから、これで、もう、お知らせだけ。いえいえ、○さんがどうしても逢いたいと言ってくださったけれど、お断りしてるから。呉々も来ないでください。ええ、もう、それで…。じゃ。」




では、葬儀でお別れをしたいと思う人もいるだろう。が、家族葬になることも言ってはいない。
廊下で聞いていた息子が、私とダダを呼んで三人でこれを聞いた。息子は、寝室に母を呼び、母に意見した。








「おかしいよ。じいじがかわいそうじゃないか。




葬儀も来るな、見舞いも来るなってこと?!」
息子は泣いていた。










ごめん息子よ。








が、父のすぐ上の兄だけが、いとこと共にすぐ来てくれた。




叔父の姿が、父にそっくりで、私は不覚にも、泣いてしまった。
おじちゃん、みんな来てくださってありがとう。
そう言ったら、おじちゃんは私の肩を抱いてずっとずっと私の頭を撫でていてくれた。
帰るまでずっとずっと。




そして、父の手を握って、肩を撫でて、ちっとも帰らなかった、おじちゃん。




『さ、お父さんまたこよう。ね、また来るね。お父さん。』といとこがと促したが、おじちゃんは帰ろうとしなかった。








しばらく、父を撫でていた。




すると朦朧とした意識の父が、手を握り返したのだ。




おじちゃんは、頷いて席を立った。
すると、なんと、みんなに父は手を振った。




「dolceちゃん、これね、もうわからないかもしれないと思って、香りの良い花を選んで作ってもらったの。だから、おじちゃんの枕元に置いてあげて…。」
どうもありがとう。私の高校の先輩でもあるいとこ。








母はなぜお見舞いを断るのだろうか。




きっと、母には最後に会いたい人はいないのだなと、
私には思えた。

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そりゃ、草刈り機💦

弟が帰ってきたせいで、毎日毎日、色々起こる。今まで関わらずに済んでいた人間たちが、父のことで、ひとつの空間にいる。



弟は、しばらく会わないうちに、「怒鳴る人」になっていた。




一流のブランド品で身を固めた顔は険しく、クソほど生意気で、家中を消毒し始めた。自分の思いどおりにいかない場所にティッシュが置いてあると、怒鳴り散らす初老のただの親父だった。




小さな男になっていた。




母は、弟を恐れ、けれども、喧嘩をし、家の中はひどい雰囲気になった。弟は、昔の母そのものだった。
二人とも、喧嘩がお好き。








オムツが無くなってきたので、ドラッグストアに行こうとしていたら、




「Amazonで買えばいいのに、今時、なんでも買えるのに、知ってた?すぐ来るのに。お姉さんなんてびっくりしちゃうんじゃないの?」




と高笑いをした。












私は、母をホンダに乗せて、外へ出して、歩かせたい。もしかしたら紫陽花が咲いているかもしれない。素敵なパッケージのシャンプーを買えば、母が髪を洗うかもしれない。父が、オレンジ、オレンジとうわ言の様に何回も言うので、オレンジを買ってきて、良い香りを嗅がせたい。表面を少しおろし金で削ってみたらきっと良い香りがすると思った。






「そんなの、農薬だらけに決まってるだろう!Amazonで、フランスのナチュラルのアロマを買おう」
って、また、Amazonかね?フランスのそのメーカーのオンラインページから買ったら、もっと安いぜと思ったが、言葉そ飲みこんだ。






馬鹿じゃないのかね。いちいち怒鳴るなよ。
なんでも、Amazonで、買ったら全部良いと言うわけではない。出かけさせることが大事。












「福岡なんか大都会だからさ、俺、こんな田舎じゃ退屈で退屈で。やることないな。やっぱり、横浜とか福岡がいい。よく住んでるよなこんな田舎。俺は、こんなところ、やだわ…。』




『お姉さんインド行ったんだって?お母さんから聞いたよ。インド俺も行ったけどさ、ホテルから一歩も出なかったよ。え?ホテル?ヒルトンだっけな?忘れた。全部ツアーだから。ビジネスの。高いやつ。でも、あんなところ二度といかない!最悪だったでしょ。気持ち悪いメシで、もう、全部最悪だったわ。』








『そうだねー。』
ワタクシは、腹の中で、爆笑しながら、平静を保つのに必死。
オメーみたいなトンチンカンの都会人にはそうだろうね…。












私は、ここ二日もお風呂に入れなかった。入ることを思いつきもしなかった。




それを言ったら、臭い臭いと言う。そうだろう臭いだろう。でも、入れない。四六時中、父が私を呼ぶのだ。
「おーい。」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん」
「ああ、ああ、   それは、    あの   アレだな」
「そうよ、ご主人さま」(ハクション大魔王ね!)
「アレも、  よく見たな…。なあ、  好きだったな  」
それで、眠ってしまう。










一応、髪だけは、お向かいにある美容室で、理由を話してブローなしでササッと洗ってもらった。でも臭いだろうね。








弟は義妹に電話して、




「俺が汚い風呂を掃除して、みんな全員風呂に入れてやったよ…。気持ち悪くてびっくりだね。笑えるよ。」




と大きな声で上機嫌だった。




会えて良かったよ。弟よ。君と電話でやりとりをしていた違和感はこれだね。




ひとって、見たらすぐわかる。君は近づいたらヤバい親父に変貌していたんだね。君もこの家で育ったのだものね。




そうして、そうやって、虚勢を張って生きなければ、やっていけなかったのだね。私は、ダダのおかげで、家で静かに生きられた。でも、君は会社で働かなきゃいけないんだものね。これは、嫌われているね。見たら一発でわかった。




私は、この先、もう弟に、連絡するのは無理だと思った。君がなぜダダにヘコヘコするのか、わからなかったが、それは社畜だからだね…多分。




ごめんなさい、君は、お金持ちだろうけれど、とても貧しい。君はその鎧のような服や持ち物で完全武装しているけれど、私には、わかる。って言うことは、君の小ささは、みんな知ってるんだよ。




なるほど、と、思った。
















弟は、父が呼吸をいるかどうか、たまに見に行く。
母と見ている。




が、タンが出て気になると、息を止めてタンを飲み込もうとする。
すると、母が、ベッドの柵に顔を埋めて泣きそうになる。弟も、脈を取る。




『あああああーーー』
と、タンを飲みこんだのか、声を出す。




「あ、よかった!!!呼吸が復活した。」
「少しアミノ酸を取らせると良く眠るかもしれない」






くくくッ(笑)






まるで、志村けんのコントのようだ。ありましたよね。葬式で皆が泣いていると、おばあちゃんが息を吹き返すってのが…。同じ事を何度も繰り返すのね(笑)










悪いが、ホントにおかしい(笑)




この二人は、「寄り添う」と言うことを一切しない。私には、動物の勘で、生きているかどうか、わかる。話して欲しそうな時には話す。でも、静かにして欲しそうな時は黙ってそこを去る。人がいると煩わしそうにする時もあるからだ。でも、黙ってていて欲しそうな時は、そこにいる。












そして、「弟さま」は、それに飽きると、
今度は、急に外が臭いと言い始めた。真剣に匂いの元を探す。
ガソリンを使った草刈機で、隣の人が、道の草を刈っているのだ。




「なんだか揮発性の匂いがする。俺、何か薬品を外にこぼしたかな…。」




『お姉さんみたいな、なんの役にも立たない私立の国文科と違って、俺、化学系だからさ。こういうのは、おかしいのすぐわかるのよ。』




いやいや、私には草のいい匂いがする。にしても50過ぎて出身大学の話なんか言うのって、だっさ。自分の人生のピークはそこですって人に多いパターン。




私は、可愛がってもらっている弟が幼い頃はうらやましかった。でも、小さな頃から全て思うがままに育つと、こんな風になってしまうのだと思ったら、私よりも弟の方が、気の毒なのでは?と思った。これでは、生きにくかろう。人生大変だろう。



人生トータルで見たら、「私の方が、しあわせかもしれない。」と、驚く様なことに気がついてしまった…。まあ、これも私の主観だが。。。






そう思えば…私は弟にこう言われたことがある。
『お姉さんは今すごくしあわせそうじゃない。いい気なもんだ。ダダの尻馬に乗って、何でもかんでもやりたい放題じゃない。いつだってダダと太郎が守ってるじゃない。お姉さん家族。みんなして、お姉さんばっかりいい思いしてるじゃない。』






それから、数年前も…。父が、一度佐賀県の弟の職場を見たいと言って、両親が、佐賀の弟を訪ねたことがあった。

私は、父に佐賀はどうだった?と聞いたら、一切口をつぐんでいたのが不思議だった。けれど、父は、色々見てわかったのだなと、私は思った。
『もう~、物凄い豪華なマンションで、会社に行ったら、休日出勤の人とばったり会って、その人が、部下だったらしいけれど、〇〇(弟)に、もう、平身低頭で挨拶してたわよ~✨✨』
とうっとり話したのは、アホの母。それを聞いていた父は、口を真一文字につぐんで、とても残念そうな顔をしていた。
あああ、アレはそう言うことだったのね。お父さん。
考えると、色々なことが一本の線につながる。








ああ、今、外で、草刈機の音が聞こえる…。知らないのだね。草刈機。笑える。ガソリンの臭いしかわからないかもしれないけれど、草の青い匂いが梅雨の湿った空気に漂う。






「なんだかうるさいから、窓、閉めて!早くして。これじゃお父さん、起きちゃうよ!」




大騒ぎ。草刈機🤣💦こんな物は田舎の日常の音。

起きやしねーよ(笑)



弟に会えてよかった。この人と真剣に電話でやりとりしていた私が馬鹿だった。このオヤジは、私とは違う人種…。




『なんだろう?この変な匂い??何か撒いてるのかな?』


でもクソの役にも立たない私立国文科出身のアホのワタクシは、


「あら?どうしたんだろうね、北朝鮮が攻めてくるんじゃね?」
とすっとぼけておいた。あははは。




ひどい口調で怒られた。
爆笑。(心の中で…)


ダメだこりゃ…🤣💦(ドリフ風にどうぞ!)
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柔らかい雨

柔らかい雨が、茄子に降る。葡萄に降る。
畑は潤う。


いちじくに、小さな緑色の実が付いていた。


久しぶりに無料猫カフェに寄った。「猫くん、猫くん」と呼んだら、みんな出てきてくれた。
鶏小屋の番をしている畑のそばの猫くんたち。
















弟が九州から帰ってきたので、
昨日の晩に、一時帰国(笑)
自分の家に戻った。
なにしろ、先週の水曜に、少しお見舞いに行こうと思って、そのまま泊まり込んだのだ。
洗濯物も干しっぱなしかもしれない…と、心配だったが、取り込んであった(笑)
良かった…。




帰る途中、畑に寄った。


畑のピーマンは、実がたくさんついて、枝が折れそう。みんな採ってあげて、
すっきり。
茄子もしかり。
そして、採り時を逃したフワンボワーズが、黒くなって土に落ちていた。
ワイルドストロベリーも実が終わっていた。


唯一ありがたかったのは雨が続いていた事だった。
きゅうりが、ツルを伸ばして、天に向かって気持ち良さそうに葉っぱをたくさんつけていた。
















家に帰って、喪服を出して、靴を磨いて、黒のストッキング、黒のパンプスを出して磨く。
麻のハンカチにアイロンをかける。




一応、袷と、絽の喪服を出して家の中に干す。黒の帯揚げ黒の帯締め、全部出して点検。
草履も出す。


雨かもしれないし、暑いかもしれないし、寒いかもしれない。
どうなるかわからないので、とにかく全部出して…。


冷蔵庫もそのままだった。息子が掃除をしてくれた。
全て終わったら、私は、泥のように眠ってしまった。




今朝、起きたら、家中が黒くなっていた
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プロフィール

ダリア

Author:ダリア
可愛くない私を、嫌々育てた母。仕事第一の父。そして溺愛された弟。病んでいく私。
ネグレクト、被虐待児のいく末です。

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