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保証人

電話をかけてきて、頼みごとだけ話す弟。
「元気??」
って言うと、生返事。



それでいて「転職の保証人になってくれ」
「引っ越し先のマンションの保証人になってほしい」と、
それだけ言う。




「そっちの様子はどう?」
と言ったら、
「あのさ、お姉さん、今、これから出かけるから、ちょっと話はその辺でいいかな」
って、言った。



そんなに邪険にするならば、保証人なんか他に頼めば良いではないか。
しかもそっちの不動産屋がアホで、3回も書類を作り直した。こっちはその度に何度も郵便局へ走る。書類を確認して何度も出す面倒さ。面倒な書類がどんどん届く。



「お姉さんは元気?」
のひとこともない。
そのくらいの気遣いができないものかと、思った。


もう馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。
手続きが済んだら、いきなりお菓子が送られてきた。



到着の予定の前日に、
「送ったはずなんだけど、ついてるのかな?」
と、ぶっきらぼうなライン。


「は?」

である。




宅配業者から、明日の指定の荷物が届くとのラインがあった。多分それだろう。
翌日、届いたので、社会人として当たり前のお礼のラインを入れた。


すると、お辞儀をしたクマのスタンプが翌日に
ポンと送られてきた。


いかにも「話は一切したくありません」とそのクマは言っている様だった。





私も、お前とは、もう話はしたくない。
馬鹿にするなと、
言ってやりたくなった。

言わなくてもいいのだ。私が裁かなくても、良い。
神さまは見ている。きっと。
私は無宗教ですが…。


次は断ろうっと(笑)




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拠り所

全てを捨てて生きてるつもり。
諦めている。
嫌われても大丈夫
ひとりぼっちでも大丈夫。
私は、心の底では、絶対裏切らないものを拠り所にしている。








ピアノ。シューマンは、絶対裏切らない(笑)
乗馬。スノーボード。スキー。
お庭、畑で、育てる野菜やお花たち。
奥田民生をたまに聴く。
そして、本を読む。
たまに行く美術館。
そして、若い才能。
五十嵐カノア、平野歩夢、そして横浜ベイスターズ(笑)
必死で努力する若いアスリートを見るのはとても気持ちが良い。
ワクワクする才能。

人は裏切るのは当たり前。裏切らない人はいないのだ。人に完璧を求めるならば、自分も完璧でなくっちゃ。それはぎゅうぎゅうの緊張感のある関係になる。
みんな自分がかわいい。良いではないですか、それで。自由にさせてあげて。

私は、人のことに興味はない。
ただ、この人、ステキだなぁって思うことはいっぱいある。
でも、そこまで。
素敵ね、で、良い。
芸術は、スポーツは、時代を超えて、年代を超えて愉しめる。
今日は、桂花烏龍茶をアイスで入れて、飲む。美味しいよ。
金木犀の花が入っているお茶。
一人で、そんな素敵な気持ちで、生きましょう。
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ラスボス

出てきた。
わかった、誰が、黒幕か…。




父は、五人兄弟の、下から二番目。兄弟にはそれぞれにお手伝いが一人づつついていて、みな、お手伝いに育てられたという。

戦後間もなく。横浜。スーツを着て幼稚園にクルマで送迎される父の写真を見たことがある。
まわりは、みな着物だった時代。幼い兄弟が黒いクルマの前で、蝶ネクタイに誂えのスーツ姿だった。
父は、親に育てられる事はなく、ツルというお手伝いが育てたそうだ。

私は、ツルに会ったことがある。古い家に住んでいるおばあさんだった。
ツルが長男の嫁をいびり、家から追い出してしまったという相談で家にやってきた。
ああ、このひとが、父を育てたんだ。狡そうな顔でお金お金と言っていた。
ツルは、父の名前をさん付けで呼んでいた。幼い私は、「年上なのに、変だなぁ」と思った。

でも今ならわかる。お金で雇われた親代わりだったのだから…。



父は、老いた。理性が効かない。思った事を口に出す。
先日、夏休みだからと、数時間実家に行った私に、
『なんだか、随分いいクルマに乗って、お金持ちだねーーー』
と、顔を歪めて言った。嫌な言い方。

お父さん、お父さんってこんな人だったの???


毒母とは長く喧嘩中だという。


『乗馬って、いくらくらいかかるんだ?サチコ、いいご身分だねーー、お前は、この世の春じゃねーかー』
意地悪。


私の苦しみなど、わかっちゃいない。私が馬に触るのは、温かみが欲しいから。馬鹿ほど表面しか見ないで人を評価するものだ。

私が心的外傷で、苦しんでいる事だって、知っているはず。でも、私の個人の性格が繊細すぎると、我儘すぎると、そんな風に解釈しているのだろう。

ああ、そうだ。そうです。私は、この災難を、自分の力で切り開く。人のせいにしないで、降りかかった火の粉を払いのけるつもり。できない時もあるけれど(笑)

だから、お願いだから、私が死ぬ思いで育てた「私という花」を摘み取らないでください。






乗馬は、私がピアノで働いたお金の範囲で行っている。それ以上の騎乗レッスンはとらないもの。
なのに…そんな事を、「いいご身分」などと、憎らしげに言う父。

でも、いい。私は、もう「サチコという名前」では、ないんでね(笑)
名前を変えたのだよ!知らないだろうけれどね。


横から毒母が文句を言う。
「お父さん、この前、熱中症で倒れたのよ。水を飲んでと言ったら、意地になって飲まなかったのよ。もうあの人大っ嫌い!」
ふーん。
相変わらず。


でも、数時間の我慢だ。

何故、年に二回盆と正月に行っているのかというと、社会人としての責任です。
老いた人が社会に迷惑をかけないように。
それだけだ。
火事を出したり、ゴミ屋敷にならないように、見ているだけ。
自分に負担のない範囲で。必要ならば、業者を頼む。
健康状態は、本人に任せる。






ああ、父よ。
幼い頃、観光地に遊びに行って、ボードに乗ったり、観覧車に乗ったりする時、母は必ず「やっちゃんと乗る!!」と、弟の手を取る。可愛いように抱き寄せる。
私は、決まって父と。

母は、一回も、私を選んだことはなかった。一回も。
その度に楽しい気分は消えてしまう。いつも…。
今思うと、父もしかなたく、私の隣にいたのだろう…。



似た者夫婦だ。
スキーも、ピアノも、英語でも、大学でも、私と張り合うような気持ちが父にもあった。どうしてなんだろう…。
子供を可愛がっていたようで、心の底では、子供をどう扱って良いのかわからない父だったのかもしれない。


父も愛情を知らずに育ったのかもしれない。


だから、面倒だったのだろう。この家が。





そういえば、私が、最初に鬱の診断を受けた時の引き金も、父からの強い言葉だった。
あの時も、「まさか、お父さんが…。」
そんな思いだった。
女性である毒母の叫び声よりも、男性の大声は、恐ろしかった…。
もう、昔のこと。

私の中では、もう親は死んでいる。



この家で起こることは、世間では、おかしな事なのだ。
あの家は伏魔殿。どこから何が出てきてもおかしくない!



『私は、もっとしっかり生きれば良かった。自分には何もない。やっちゃんも、もう帰って来ないし。生きてても仕方がないから、もう早く死にたいよ。』とつぶやく毒母。

ところが、命というものは、思い通りにはならないのだ。生きたくても生きられない人もいれば、死にたいからといっても、思い通りにはならない。命は、神さまが決める事。
それがあなたの人生。



でも、私は奴らに興味はない。

私は、自分の人生をしっかり生きるだけ。よく見ておこう。同じようにならないように。
人生の最期に、カッコ悪い生き方をしないように。

奴らは、他山の石だ。



私は、花の咲く、良い気の満ちた自分の家に、帰るだけ。
私は、きっと、一緒にボートや遊具に乗ってくれた父の事を、毒母よりも優しく感じていただけだったのかもしれないね。父が私を選んでくれたのではなく、「あまりもの」を仕方なく拾っただけ。
実際、父が、私と何かに乗ろうと言ってくれたこともなかったっけ。
カウンセラーも言っていた、お父様も同罪です。
やっぱりそうだったのね。
でも、そんなことはもうどうでも良いのです。
いくら考えても、嘆いても、過去は変わらぬ。事実を解明したら、もう、忘れてしまおうと思う。
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さようなら、お父さん😃🖐✨

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2本目の矢に打たれない様に

一本目の矢。
それは、自分の失敗や、心無い人の言葉や、意地悪。
それにグサッと胸を突かれて、心が痛む。
これは、仕方がない。

仕方がないと、受け入れて、お薬をつけて、心に包帯を巻いて、しばらく休んでいよう。





でも、そんな時に2本目の矢が来る。

あんな事しなきゃよかった。
あんな人になぜ私が苦しめられなきゃいけないの?
理不尽だ。
あの人に言われたことが許せない。

これが、2本目の矢。
何かで読んだことがあるこのお話。




「2本目の矢に打たれない様にしよう」

なぜ辛い事が起こったのか、原因を考えて解明したら、もう、忘れてしまおう。




恐ろしい事に、この2本目の矢は自分が自分に放つ矢だ。

さらに、この「2本目の矢」こそ心を蝕み、膿が心にたまり、やがて、身体まで、壊してしまう。






私もたくさんの「2本目の矢」が心に突き刺さったままで生きてきた。
それは、自分にとって、何もプラスにはならなかった。



今、私は、失敗をしても、くよくよしないためにこの言葉を、いつも胸にしまってある。
たまに、ああ、そうだったね。と、引き出しから出して、思い出したら、また大事にそおっと心にしまっておく。


失敗しても良い。でも、
『2本目の矢に打たれないように。』

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さようなら

あの地獄家族が、バラバラに崩壊している。


ああ、こんな風に、なっちゃうんだなぁって、人ごとのように見ている。

力なく生きる年老いた毒親。




「あの時は、いつもお父さんも帰りが遅いし、ひとりきりの子育てはどんなに大変だったか…。」って、お念仏のような言い訳。
産まなきゃよかったじゃないの。犬や猫じゃあるまいし。
でも、黙っています。

馬鹿につける薬は、古今東西どこにもないと、昔の人も言っている(笑)





私は、今、自分で、ひとりで立っている。
私は、息子を感情で怒ったことなど一回もない。子供に意地悪したことなんてな一回もない。虐待なんかもってのほか。
有難い事に、息子は、健康に育った。神さまに感謝。




あの地獄家族が壊れてゆく。
あとは、お金で解決。ひとを雇う。




家族としての関係性は最早なく、皆それぞれを生きている。
お互いに対する思いなんかないんだ。
いや、もともとなかったのを無理に「家族だ!」と思いこんで、家族の真似事をしてきたが、ちっとも楽しくなんかなくて、心のそこから笑える人もいなくて、本当の事は言えない家。

嫉妬と、憎しみと、激情のはけ口、そして、幼い子供の悲しみと、孤独…。言い争いと、涙と、孤独。悪口と、意地悪と、大げんかの毎日。昨日の正は今日の誤。混乱。キチガイのように扉を閉める音。叫び声。泣き顔。

ああ、後には何も残らない。

家族を作るっていう事は、動物だってする。心を病んだ親が世話できないと、自然界は、子供が死んで、家族は消える。

人間の世界は、そうはいかなくて、無理に生きるようにできている。

自然淘汰されないという悲劇。



全員が嫌だと思いながら、消える事もできない家族。
そんな機能不全家族が、この日本にどれだけあるだろう。






血ヘドを吐くような思いで生きてきました。

でもね、私は、人にその辛さをひっかぶしたことなんか一度もない。
当り散らしたり、嫉妬したり、不機嫌を振りまいたりしたことは一回もない。
全部自分で飲み込んできた。

私は、その点は、あなたよりも、余程立派だと自負しております(笑)


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昔のことでしょう。

今日、ある方に、
「昔のことはさっぱり忘れて、先のことを考えて生きましょう」
と言われた。理想はそうです。



でも、精神科治療歴二十年以上、対人恐怖症、鬱、不眠、自分の感情がわからない、訳も分からないような焦燥感で、三十年苦しんだ自分には、それは絵空事。それができたら、苦労はしない。幼い頃に壊れてしまった心。人のせいにばかりするのもなんですが…。

健康な人には分からない感情なのだとしみじみ思った。




どうしても私の生い立ちについて話さねばならない事態になり、仕方なく、少し話した。でも、理解はされなかった。私は、理解して欲しかったけれど、無理ではないか、という気もしていた。
言われたからといって私は、無理をするつもりはない。
心の病になり、無理を重ねて癌にもなった。

被虐待児の気持ちは、普通の人にはわかってもらえないんだなぁ。「昔のことは、忘れて…、」「考えてもしょうがないんだからもう、前を向いて…」と、言われても。。。(笑)
一番忘れたいと願っているのは、私自身。忘れたい。心からそう願っています。



でも何かの拍子に出てくる感情。
でも、私は、心の傷が疼くのを、人には隠して生きるしかないんだ。そう感じた。





事故で歩けなくなってしまった人に、なぜ歩く努力しないのか、と、責めているのと同じ。
もう足の神経は壊れてしまっているのです。
歩けるようになりたい。本人が一番そう思っているのです。でも、壊れてしまっている足。
精神疾患は、未だに理解されないんだなぁと、思った。
下半身不随の方に、「努力が足りない」などという冷や水の様な言葉をかける人はなかろう。
「心の病は、気持ちの持ち様、考え方次第。」それは、ね、あり得ない。







彼女も家から出されたり、大声で叱られたり、男兄弟ばかりを優先されたり、幼い頃には色々あったそうだ。「昔の家は大なり小なりみんなそんな感じだった。そういう時代だったでしょう。」と言った。
キツく叱られるとか、家から放り出されるとかよりも、もっと根本的な、「愛されている」という感覚の欠如、「あなたはいらない子だ」という刷り込み…。
「自分は存在しても良いのだ」という感覚が、私には、ない。






「どっかいっちゃえばいいのに。」
「大っ嫌い」
と朝起きると、すぐに言われた。





そして若い時はその言葉が朝一番で、頭に浮かぶことに苦しめられた。



朝起きると、誰かに大っ嫌いと言われる毎日。誰に言われるのか?それは、毒母から言われた言葉だが、それは私の中で、友人からの言葉の様にも変換され、さらに広まって世間様。世間の皆さまは、すべからく私を嫌っているのだと、思いこむ様になった。そんな、生きる苦しさ。



これで精一杯。しかもクスリの力を借りて生きている。

昔のことは、忘れて生きているけれど、その「昔のこと」の後遺症の対人恐怖や、鬱などを気持ちの持ち様で無くせと、言われても、そんな都合よくいくならばとっくにやっているし、何よりそれを望んでいるのは私だ。



どの人も現状が精一杯。

彼女も、悪気があって言ったわけではなかろう。
でも、私は、悲しかった。とても。

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ひととの関わり

思春期の頃、中学生の頃は、友人も多く、外では私は、不思議と伸び伸びしていた。

私の中学の学年は、同窓会をすると160名中、140名が出席という仲の良い学年でした。私も楽しい学生生活でした。
そして、高校は、男子校。女子はクラスに数名。
男子の仲間は本当に、気が楽で、それはそれは楽しかった。
極めて普通に親友もおり、今だに年賀状もやりとりしている人がおります。

家での恐怖を忘れるくらいに、私には外の世界が楽しかったです。
これは、ありがたかったです。

「去る者は、おらず(笑)来る者は拒まず」で、楽しく回っていました。







自我の確立と共に、私の対人恐怖症が出てきたのは、大学からでした。
楽な男子高校から女子もいる大学へ。
そして会社勤め…。子育て時代。
辛かったです。


「去る者にすがりつき、来る者は拒まず」の、時代でした。

その頃は、人との距離の取り方が、分からずに、真剣に人と付き合っていました。
クソ真面目に、真剣に…。そして、100パーセントの信頼を持って人と付き合っていました。

少しでも、自分と考えが違うと、とても怖くなり、どうして良いかわからない。でも、適当な距離を置いて付き合う事が全くできませんでした。

自分の理想の友人を探し求めて、人に100の自分を見せていました。
絶対に、嘘もつかず、機嫌をとって、唯、恐怖して、生きていました。
笑えなかった時代です。

顔は引きつり、作り笑顔も限界でした。
動悸がして、ひとは恐ろしかった。特に、学校のママ友というひとたち。

その時は、好きな人など、いなかったのかもしれません。

なにしろ私に「絶対」を求めてられるのです。相手だって
疲れるに決まっています。

私も、その頃は恐ろしくて人前でまともに話ができないくらいの状態でした。
人は、大蛇に見えました。


分別ある方は逃げていき、ずるい人が寄ってきました。
その頃の友人は、一名を除き、もうお付き合いがありません。






が、今は、色々な事を乗り越え、人に100パーセントを求めないで、適度な距離を置いてゆったりと、お付き合いできるようになりました。

自分が、ゆるく生きられるようになると、
なんと、人の欠点や、自分と合わない部分には、目が行かなくなり、
人づきあいも変わっていきました。

今では、嫌いな人は、一人もそばにいません。


お付き合いしている方は、分別ある優しい方ばかりで、
ズルい人などおりません。

距離を置いてゆったり付き合う。
それは、被虐待児には難しいのですね。

完璧を求められて育つと相手にもパーフェクトを求めてしまう自分になってしまうのかもしれませんね。
なので今、心から信頼をしている方は何人かいらっしゃいます。


でも、その方の生活や考えに、深入りせずに、ゆったり付き合う事が叶っています。

ピアノのw先生、犬友で乗馬のお友だち、そしてうんと年上のピアノの先生。
そして近所に住んでいる、フラダンサーのゆーこさん✨
会社時代の友人nさん。整骨院の先生をしている幼なじみのrさん。
みな、信頼できる方々です。

距離を置くことは、お互いを尊重する事です。

w先生のコンサートは、いつも楽しみですし、ゆーこさんのフラの写真にもすごく憧れます。犬友とは乗馬に楽しく行くだけですし、暗い話はしません。「楽しまなきゃ損です!」が彼女の口ぐせ。人生の達人です。



お互いがんじがらめにしない事です。

今は、「去る者は追わず、来る人は選んで」、になりました。



そして私は、孤独が嫌ではない人なのです。
なので、ひとりも、快適です。


ひとりが愉しめる人と、お付き合いするのが、
良いことかもしれません。

友人は選んで良いのです。


趣味の世界を持つ人とのお付き合いは、趣味の話。
人生の悩み…、話しません。
悲しい話は、つまらないですもの…。



人の批判もなし。
嫉妬も怖いし、うわさ話も嫌ですよね。


合わない人と会うと、
たまには、辛くなってしまう事もありますが、
少しずつ、少しずつ。
でも、あまり疲れるお付き合いは、こちらから切ってしまいます。
もう人生短いので。(笑)

そして、
『あ、今日は距離が近かったな』って、思うことにしています。

楽にできるようになりつつあります。まだできませんけれど…。

心が疲れない範囲で、付き合います。
基本はひとり。


あっさりですが、私はこれが一番いいです。



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私の神社

お散歩に神社はちょうど良いのです。自然の中を歩けて、いい気が充満していて、手の入った庭を眺めて、お散歩です。

緑の中のお散歩は、心が、すうっとしますよね。




パンパンって、お参りをしてくれば、なんだか、しあわせがいっぱい入って来そうです✨
近くの神社へ。


風の強い日。
曇が飛ぶように動く。なんだかね、どんどん悪い物が退散して行くようですよ。







ここは、お天気の日は、光を反射した石畳が、真っ白に輝く光いっぱいのマイ神社。
曇りの日。こんな時でも、参道の、みどりの滴るような大きな木々が、透き通るような空気を作っています。
わさわさと、大風が邪気を払う。

私は自分の良く行くマイ神社を持っています。
気持ちの良いところ。

ここで、過ごす数時間が、心を清めてくれるような気がして。





自分を不幸にするのも、しあわせにするのも、自分の選択。

どうにもならない時、つらくて悲しい時、そんな時は、私は、休むっていう決断をするんです。薬を飲んでやり過ごすのも、良い決断。結局、自分を大事にしてあげる決断、自分にとって快適な決断ができる事は、大事です。



泣きたい時は、泣きましょう。
悲しい時は、悲しいって言いましょう。
自分で自分を大事に。





「弱い人でいなさい」「意思を持ってはいけません」と言われて育ちました。
でも…。そこから逃げましょう。でも、そう簡単にいかない事は、私はよく知っています。苦しくて哀しい思いをいっぱいしないと、そこから逃げられないのも、知っています。





そんな簡単ではない。でも、小さな事から始めていきましょう。
今日はひとつ、明日はもうひとつ。これを一年やれば、365個です✨
それを10年、20年してみましょう。

たまにはサボっても良いです(笑)





そして、すっごく悪い人になりましょう!ずるくて、意地悪で、嘘つきでいいんです。そう思ってもなかなかできないですよね。被虐待児の私たちは、みんなと逆なんです。悪い人になりましょう!そう思うくらいで丁度良いです(笑)



人生は、小さな選択の連続。そして、その小さな選択が、将来の自分を作ります。





気持ちの良い風の吹く、良い香りのする、お日さまの光の下を歩きましょう。


大事な存在と一緒に。

大切な人と。

たとえ姿がなくても、大事な存在は、胸の中に輝き続けるでしょう。
一緒に歩きましょう✨


私もハイジさんと歩きます!






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「生きたい」

生きたくなる、という感覚

生きたくなる…


それまでの、私は、命を無駄にしていた。
いつ死んでもいい、いや、できれば早めに命が尽きることを願っていた。





人生、辛かった。

何もかもが、辛く悲しい。
それでも、生きていなければならない。
何がそんなに、辛いのか…。



今、考えると、私は、間違っていた。

でも、心的外傷、神経症、鬱病ではあったので、それなりにかなり辛かったです。
いつも心にうっすらと覆い被さる不安と恐怖。


今でもね、常にあります哀しい心が。




でも、ひとって、もっと、しあわせなのではないか…。
皆は、きっともっとしあわせに違いない。
そうよ、ひとは、皆もっとしあわせ。
人生ってもっと、楽しくて、愉快。



自分だけがこんなに意味不明な不安と、闘って、消耗している。
そう思っていた。

人生のしあわせ度のハードルが分からなかった。



自分は、自分の人生の裏ばかり見ていた。



そうして、いつしか
完璧なしあわせを求めてしまっていた。



生きたい、と思ったのは、
余命宣告をされてからだ。


生きたい、と、思ったわけではなく、単に、死ぬのが恐ろしかったのだ。


それは、自分の為ではなく、幼い息子、主人を残して逝けない、と、
思ったからだ。



病院では、子を産んだばかりの若いお母さんの抗がん剤の点滴のベッドの横で、ご主人が乳飲み子をあやしていた。
その赤ちゃんの笑顔…。

息子さんの、サッカーの試合のお弁当をどうしても作りたいから一時退院をお願いするというお母さん。
放射線治療で髪が半分抜け、眼球摘出したというひとの笑顔。

一緒に闘病していたひとの葬儀。泣き崩れる子供。

葬儀の帰り道…、私の手を握って主人がきっぱりと言った。
『かあたんを絶対に、こんな風にはしないから。僕が絶対助けるから。』



ここで見た事。






今までは、なんでもできたじゃないか…。身体も動いたし、ある程度は、思い通りに生きてきたではないか。「子供のお弁当が作りたい」そんな希望って。。。そんなことが、どうしてもしたいって。。。命をかけてお弁当を作りたいなんて。。。
すごいと思った。




余命宣告をされてからも、変わらずに笑顔で食卓を囲むこの家族。
いつしか、主人の髪は白髪で真っ白になった。



庭の花は変わりなく咲く。
季節は巡る。



私が死んでも、きっとこうやって全ては流れていくだろう。



けれど、こんなに、私を大事にしてくれる主人と息子を、絶対残して逝けない。




セントバーナード犬のハイジさんは、常に私の足元に寝ている。
やんちゃ盛りの仔犬。
私に寄り添って、励ましてくれている。
歩けない時も、一歩一歩背中で私のことを支えてお散歩してくれる。
ひどい時は百メートルも歩けなかった。
それでも、我慢して私を支えてくれている。

仔犬なのだ…。きっと、走り回って遊びたいだろうに…。




主人は朝4時に起きて、1時間の犬の散歩に山に行き、息子の朝ごはんを作り、
ゴミ出しをし、洗濯をして出勤…。




近所の人たちには、
『家族の頑張りを見てると、涙が出る』
と、言われた。




「生きているだけで、良いのではないか…」
そういう考えが、ふと浮かんだ。



私が、生きて、存在するだけで、この家族が、しあわせなんだ、と
思ったら、生きなければ、と思った。
私は、死んでは、いけないのだと、思った。




それから、私は、拾った命。

花が咲いても、息子がふと笑っても、ああ、しあわせだ、そう思っています。
人生は、そんなに、薔薇色でなくたって良い。


そうなのです。ただ単に、私は、地獄を見たことで、欲を捨てたのです。
この大きすぎる欲は人生のお荷物。だから、身軽になって生きねば、と、思いました。


皆、何かを抱えて生きているんです。
そう思って、完璧なしあわせを求めるのを、やめた次第です。

生きたい、と、積極的に思ったわけではなく、極めて消極的に(笑)
生きねばならない、と思っただけなのです…。




しあわせは、来るものではなく、見つけるものです。きっと。
そんな事にやっと気がついた。



どんな辛い時でも、お庭の花にニコっとする時があるでしょう。
犬の顔にしあわせを感じることもあるでしょう。
美味しいお茶にホッとすることもあるでしょう。
それだけで、すっごくしあわせなんですね。
人生ってそれだけで、充分なんでしょう、と、今は思います。


2019年、夏  畑にて…。

これが、この花の畑が、私の日常のしあわせです。葡萄もなります。無花果もなります。薔薇もカンナも咲きます。そしてダリアも…。茄子も、ピーマンも、トマトも、インゲン豆も、ごぼうも…。
ここを耕して、汗をかいて、命の花を部屋にいける。お野菜たくさん。


~~今苦しみの中にいらっしゃる方々、こんな写真…。ごめんなさい。お目こぼしください。でも、自分の記録として、残しておきたくて…。でも、これは、30年苦しんでようやくたどり着いた、穏やかな時間です。

今、苦しい方…、きっと、こんな時間が来るのです。私も、ずっとずっと20年も薬を飲んで生きているのです。それでも、しあわせです。54歳の顔。

笑えなかった自分、笑えるようになりました。

『「生きたい」という感覚がわからないので、教えて欲しい』とのコメントをいただき、書いてみました。皆さま、いつも、コメントありがとうございます。
なんだか一緒に頑張る同志のようで、心強いです。

みなで、一緒に、青い鳥を探しましょう✨

~あ、でも今でも、心が弱いので、たまに辛い時もありますよ…。とほほ。



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冷んやりの、あんみつ

疲れちゃった時、あんみつを。




こういう時は、自分がうれしくなる様な器で、きれいに盛り付けて、食べますよ。
冷たくて、ぷるんとした寒天。うっすら塩の効いたお豆。
ほっこりするあんこに、黒蜜だよ。
しあわせ感。

こういう小さなことって大事なんです。


自分を大事にしてあげますよ。






死んでも平気、と、思っていた自分だが、死を恐怖するというのは、生物の本能なんだなぁ、と思う。いざ、死ぬかもしれません、と言われると、絶対に生きたくなるものだ。
だから、全部諦めて生きる。生きているだけで、良いのです。これは、癌のおかげです。



「しっかりしなければ、頑張らなければ、ひとに迷惑をかけてはいけない、自分のせいだ、ひとが不愉快なのは、私のせい…」そんな思いが心に浮かんできたら、泣きましょう。



私は、最近はあまりそういう思いに悩まされる事も少なくなり、すっかり図々しく生きています(笑)


「いじめられたら、いじめ返してみたら良いかもしれない!」「私だって人をいじめてもいいんだわ!!」
って、気がついた時の衝撃。




だからといって、まさか、人を故意にいじめる事はしないけれど、人を嫌っても良いのだ、と気がついた時には、不思議な心強さを感じた。


虐待された人は、人を嫌ってはいけないと思い込んでいる。どんな人の機嫌もとる。それはそれは、辛い事。私は、何をされても微笑んできた。決して怒らない不思議な人と言われたこともある。


全てを捨てて生きましょう。すっかり諦めてしまいましょう。

しあわせになりたいと思わない事です。
しあわせというのは、見つけるものです。

小さなことを喜んで生きることです。



青い鳥は、すぐそこにいるのです。




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プロフィール

ダリア

Author:ダリア
可愛くない私を、嫌々育てた母。仕事第一の父。そして溺愛された弟。病んでいく私。
ネグレクト、被虐待児のいく末です。

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