2018/10/04
「花さき山」という絵本がある。
母は何かでこの本を見て、「これだ!!」と言って、すぐに買って私に読ませた。
あらすじはこうだ。
主人公のアヤは、優しいことをすると、山に花が咲くと、迷い込んだ山で、山姥に教えられました。
あやの家は貧乏で、祭り用の着物を、あやと妹のそよの二人に買ってやることは出来ません。あやは自分はいいから、そよに買ってやってくれと母に言ったのでした。
そして今、咲きかけている青い小さい花。
それは双子の赤ん坊の兄の方が、母親に抱かれたいのを我慢して、弟に譲っている為に咲いていると・・・
兄は目にいっぱい涙をためて辛抱している・・・その涙が花にかかっている露だと。
自分の事より人の事を思って辛抱すると、その優しさと健気さが、
花となって咲き出す。
それがこの花さき山の花だと、やまんばは言いました。
この本のどこが良いのかさっぱりわからなかった。
読ませられながら、はっきり言って殺意さえ湧いた(笑)
この本を読まされて、胸が張り裂けそうだった。
母に対して、弟に対して、苦しい嗚咽が喉まで出かかって、
必死で堪えて我慢しました。
なぜ、可愛がられて、いつも誕生日に大喜びするようなプレゼントをもらう弟を、いつも褒められる弟を、これ以上、私にどうしろというのか…。
でも、これを読んでなぜこんな悔しい気持ちになるのかは、当時の自分には分からなかった。
暗い陰気な切り絵の挿絵の、嫌な本だった。
これ以上、どうやって我慢しろと言うのか。なんでも弟優先なのに、さらにこれ以上、私からも弟に愛情を注げと言うのか。
愛というのは自分が受けて満たされて始めて人に分けてあげられるものだ。弟が嫌いだったわけではない。が、弟を思いやる、そんな温かさは私には全くなかった。自分の苦しさに耐えるので必死だった。自分が味わった事のない愛を、弟にあげるなどできるわけがない。
弟に、私は意地悪をしたのかもしれない。ごめんね、でも、覚えていないのだ。自分がこの家で苦しかった事以外、全く覚えていないのです。
今、弟に嫌われていることを思えば、きっとひどいことをしたのだと思う。
母が私にしていたことを、私は弟にしていたのかもしれない。
ごめんね。
私も被害者とともに加害者だったのかもしれない。
私は、誕生日を祝ってもらったことはない。
ほしい物を買ってもらったことはない。一度もない。
誕生日が、クリスマスの近くだからだ。
クリスマスにも、欲しい物は買ってもらえない。母が買いたい物を買う。
弟は、違う。欲しい物は次から次へと手に入る。
高校入学の際、母は、自分の母校へ合格したら欲しかった時計を買ってやると言った。しかし、私が合格したのは、母の希望よりも良い学校だった。
「〇〇高校じゃなかったから、時計は買わないネ。」
流石にこの時は、父が時計を買ってやれと言って渋々買いに行った。
「弟はかわいい、サチコは憎らしい。」
よくも、はっきり言うよね。
馬鹿なんだね。というか、後先を考えないというか…。
やっぱり、馬鹿だわ。
これを何度聞いたか。
高校へ入ると、家にいるよりも、外が良かった。
帰宅時間はいつも遅かった。10時を大抵は超えていた。朝は、部活の朝練で、6時十分のバス。ほとんど家にいない。
母は、私が帰ると物を投げて、怒っていた。頭に当たって血が出たこともあった。
額から粘っこい生温かい血が流れた。
けれど、もう慣れっこになっていて、母のことなどどうでも良いくらい外の世界が楽しかった。
何も考えず、流れる血を拭く。
「大袈裟なんだから!!大した事ないじゃないの!!」
こんなことになっても、私は何も感じないのだ。
あぁ、面倒だなぁ、どうやって機嫌を取ろうか…と
思っただけ。
何が悪いから叱られた、これを改めよう、など、
一切、考えた事もない。
母も、何かわかって欲しかったわけでなはく、ただ単に、イライラしていただけなので。
愛情など、ない。
心配などしていない。それが、わかるのだ。
考えていた事は、明日の楽しい予定。
高校時代の制服のスカートはふんずけるくらい長く、パーマをかけて、
夜遅くまで友達といた。たまに授業はサボって海にいた。全く勉強はしない。
電話がかかってくると、サッと出かける。
この頃は、母は口を開けば私の素行の悪さを弟に愚痴っていたそうだ。
母からは、困った時はこうすれば良いよ、など、一回も言われたことはない。
母から、私は、何も教わったことはない。教育的な事を言われたことはない。
これは弟が言っていた。
「お姉さんには、いつも、 訳の分からない事で気が狂ったように叫んでいるだけだった。」と。
でも、私は、この頃は、楽しかった。