2018/09/14
帰国した家の雰囲気が最悪だったのは、
理由があった。
これは、カウンセラーの先生から教えていただいたことなのだが、
この家の軸は私なのだ。
父の機嫌を取り、母をなだめ、ストレスのはけ口は私だった。
私の渡米中この家は、ささくれ立っていた。
親の役割を私がしていたのだ。それがいなくなった家は、
幼児のような二人がお互いを神経質に探り合い、子供のような些細なことで
大げんかになる。
そこへ安らぎを求めて帰国した自分が馬鹿だった。
しかも、3歳の息子を連れて。
『面倒みさせようったってそうはいかないよ。』
と母は言った。母は子供が嫌い。でも、私は、疲れていて、時差で眠い。起きられない。ボストンの家をたたんで帰国した事は、心身ともに限界を超えていたのだ。あの膨大な作業。幼児を見ながら…。
『俺たちは、一生懸命お前の家の管理をしたんだ!草をむしって、窓を開けて、床を拭いて…。』
裏庭の草はそのままで良いといったはず。ひどかったら除草剤を散布してくれれば良い。床掃除もほどほどにと言ったはず。汚れることもなかろう。
して欲しかったのは、時々換気して、テラスの蜂の巣を小さなうちに取ってほしいかった。うちは蜂やスズメやツバメがよく巣をかける。
何度も言ったにも関わらず、放置して巣が大きくなってから、薬品を使ったらしいのだが、「駆除の薬を使う時は、下に新聞紙を敷いてね」と何度も頼んだのに、新聞紙は敷かずに、そのまま薬品がテラスの床に垂れて真っ黒い大きなシミがたくさんできていた。
ダイニングから両開きの大きなドアを開けると、四畳のテラス。グリーンと白のオーニング(お店によくある布製の可動式の日よけ)が付いていて、この空間は家を建てる時に一番凝ったところ。食事をしながら、フルオープンになるテラス。明るい白い床。緑がいっぱいに見える。
その白い床に、真っ黒いシミが醜く一面に付いているのを見て、泣きたくなった。
他にも、色々頼んだ事は何もしないで、私から見たらどうでもよい事を一生懸命になってやっていた様。
心が弱っていた私は、テラスを見て、涙が出て仕方がなかった。それでも、実家に帰ったら、文句を言わずにいようと堪えていたが、
『どうだった?きちんと管理してあったでしょ』
と、誇らしげに言われて、思わず涙が出てきてしまった。
この床は、敷き直すと三十万するそうだ…。
『なんで、蜂の巣を小さな段階で取ってくれなかったの?なんで、薬品を使う時新聞紙を下に敷いてくれなかったの?』
小さな声で泣きながら言った。怖かった。
突然、家の管理のお礼にと渡した二十万円を、「突っ返してやる!!」
と、父に怒鳴られた。
お父さんって、こんなひとだったんだ…。
初めて子供みたいに怒鳴る父を見て、心底がっかりした。
私がいないこの家は、こんなにささくれ立っていたんだ。
両親の仲は最悪。こんなひとたちの機嫌を幼い頃からとっていたなんて…。
自分の気持ちは後回し。とにかく機嫌をとる。親の機嫌をとること。家の中が、平和であること。それは容易ではない。意味のわからない不機嫌は突然に黒雲のように広がって、恐怖でいっぱいになる。
この引っ越しの疲れに加えて、実家の雰囲気。この父に怒号で、私の中の何かがぷちんと切れた。やっと立っていたくらい疲れていたのに、もう、頑張れない…。そう思った。
「よく帰ってきたね、お疲れさま。疲れたでしょう」なんて、そんな言葉を期待していた自分は、バカだった。
もし自分が母だったら。息子が何年も外国に住んで帰国したら…。
好物を作って待っているだろう。抱きしめるだろう。孫に頬ずりするだろう。
よく帰ってきたね!と、声をかけるだろう。
そんな事をいい歳をして親に期待するのは、おかしいだろうか…。