fc2ブログ

大根キライ

この子、大根食べないのよ。おでんコックリ煮ても、絶対食べないんだよ。
〇〇ちゃんは、大根すき?

この前も、お味噌汁こぼしてね、もう、腹が立ってしょうがない。〇〇ちゃんはそんなことないよね。

かわいい服ね。こういうの着てほしいのに、この子ほんとに、センスなくって、変な格好してるでしょ。

この前も、髪の毛切ってあげたら、文句言うから、めんどくさくなって、途中からギタギタにしてやったの。そのまま学校行ったでしょ。笑っちゃう!!

夏休みの日記、すごいの。弟の悪口ばっかりで、本当に思いやりがないんだから…。意地悪でね。


友達を連れて来ると、居間に座らせて、母がずっとこの調子で私の悪口を言っていた。

私は、怒ることもできずに、歪んだような笑顔で、聞いていた。

あーーー、馬鹿みたい。この子。


よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


スポンサーサイト



朝ドラ

朝ドラ

NHKの朝ドラ。みんな見ている。

『あんな嘘っぱちは、大っ嫌い!!!』

母は絶対見ない。

朝ドラの主人公は、明るくて素直で、若い。
そして色々な困難を周りの人々に助けられて、学んで、切り抜けていく。
それこそ、人生。

あぁ、こんなことってあるよね。でも、大丈夫!きっとうまくいく。
うまくいかなくても、なんとかなる!
って前向き!

今思うと、絶対にひとに弱みを見せない、世の中を猜疑心だけで斜めに見ている母には、
朝ドラのような人生の応援歌を、くだらない作りごとの嘘っぱちに見えたのだろう。

小さな日常の出来事。迷ったり、泣いたり、笑ったり、
楽しいよね。


「あんなうまくいくわけないじゃないの!みんなもっと意地悪よ。」
そうよね…。
純粋に人生に立ち向かう可憐なヒロインの姿。
母には、逃げてきたことばかりだもの。

「何があっても前向きに生きていこう!なんて、馬鹿みたいっ!そんなひと。そんな、うまくいかないわよ。」
とよく言っていた。

でも、私が、ネガティブななことを言うと、
「あんたは暗いわね〜私なんか、アッケラカンよ。」
と良く言っていた。
嘘ばっか。

母は、ひとの気持ちがわからないのだ。いや自分の気持ちさえ、わからない。幼児だ。

ひとを恨んで、ひとの間違いを絶対許さず、アラを探し、誰とも馴染めない母には、朝ドラは、理解ができないものなんだろう。

私は、今思う。母は、本当の人生を生きていない。
恨みや寂しさの塊。

私を吐け口にして、そうして、当たり散らして、
私に周りの悪口を言いまくって、父を憎いと言い続け、
やっとバランスを取っていた。







「私、お父さんと離婚するかもしれない」
小学生の時、こう言われて、私は、怖くて二階の部屋でひっそりと泣いた。
何時間も泣いた。

今思う。別れられるわけがない。母が、一人で生きていくなんて…。
絶対無理。大笑いだ。

なぜそんなこと、私に言うの?

自分だけで苦しみたくないからよ。
苦しみを共有したいんだ。
逃げていただけのくせに。

いい迷惑だ。







よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


薬を飲みたい

父の今朝の電話が怖かった。

朝から、薬を飲みたい。もう一日の許容量を超えている。
でも、飲みたい。

あぁ、私は、失敗が許されないんだ。

息子の教育がなっていない。
息子が痩せていて、食事をきちんと作っていないのではないか。
とにかく、タクシー代をすぐに返して、と。



消えてしまいたい。これから恐ろしいことになりそう。

もう、どうでも良い。睡眠薬を飲んで眠りたい。



もうアナタたちに関わるだけで、心が壊れる。
よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


電車乗り越し

息子が電車を乗り過ごしてしまい、実家に泊まらせてもらうことになった。

夜中だったので、タクシーで、実家へ行き、
タクシー代を立て変えてもらって、一泊して来た。

お礼の電話を翌日すると、

たいそうな不機嫌の父。

私のことが嫌いなんだなぁ。
もう人生も後半。
80を超える。
何故、娘からの電話に苛立ちながら対応するのか。

たった一晩。
それは甘えだろうか…。

すぐ母に変わるという。

夜中に布団を用意して、
朝から、あれやこれやと大変だったそう。
丁寧お礼を言ったが、
「もう忙しいから切ってもいい?」
「タクシー代は、すぐに返してと言っておいたから」
と言われた。


そんなに、私が嫌いなのか。
改めてこういう対応をされると、
なんとも言えない気持ちになる。

嫌いなんだよね。私を。

せめて、人生の最後に、柔らかい気持ちになれないものかと
思うけれど、なんとも言葉もない。


嫌いな理由はいくらでもつけられる。
だって、お天気キャスターが大嫌いな人たちなんだもの。

お天気キャスターは、各局がクセのない、誰からも好感がもたれるような
人選をしているはず。

よく言えば、個性のない人が多い。

ほんの少しのことで、大げんかになる家なんだ。

お礼に行こうと思ったが、怖いので、やめておこう。
お礼の言い方、帰るときの表情、持って行ったものの値段。
渡し方、そして服装、お茶の飲み方、ちょっと言った世間話、
そんなことまで、細かく観察して、思い通りでないと
帰ってから、大悪口大会になることだろう。

別にいいのだが…。


悲しいな。親子だというのに、このままでは、最後はモメるだろう。
諦めているけれど…。

もう、自分を守ろう。
上手くやるなんて無理。

「夜中に布団を用意して敷いたのよ。重くて大変だったわよ。」
「息子にやらせてくれればよかったのに…悪かったね…。」
「冗談じゃない!できるわけないじゃない!アレコレと指示するのが面倒だから全部私がやったわよ。あんな夜中に。」

こんな歳になって、悲しいな。喧嘩…。

自分は、決して息子にはこういう思いをさせたくないと心から思う。



よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


お休みの日

休めない

私は、ゆっくり休む事が出来ない。
どんなに疲れきっていても、気がつかない。


それで、がんになってしまったのかもしれないとも思う。




幼い頃から、私が、ゆっくりぼんやりしていると、母が不機嫌だった。
「だらだらしてるんじゃないよ!」
「いつも上げ膳下げ膳で、何にもしやしないんだから!」
「イヤダイヤダ。だらしないね〜。」

母は家事が嫌い。というか生きている事が嫌いだったんではないかと思う。

怒鳴る母。だんだんエキサイトしてきて、物に当たる。
ドアを思い切りしめる。本を叩きつける様に片付ける。
バンバンという音が聞こえる。怖い。
怒っている。

私は、何か話しかける。無視が始まる。


どうしたら良いのか…。

手伝いをしても、母の思った通りに動かないと、また
怒り狂う。無視。

なので、何もしないで、機嫌をとる様に、そばにいる。

常に、機嫌をとる。

それもあまりにもテンションが高いと、
「調子に乗ってるんじゃない!」
と、言われるので、
細心の注意を払って…。

もう、それで、気を使い、疲れが澱の様に心に溜まって、
私は、疲れてしまっているんです(笑)

今でも。

風邪で熱がある時、大雨の日、
これはゆっくりできる。

風邪をひくとホッとする。

なので、それに気がついてからは、自分に言い聞かせる。
「今日は、おやすみの日。休んでもいいんだ。」
何度も言う。自分に言い聞かせる。

それでも、居心地が悪い。おやすみの日。

薬を飲んでもいいんだ。おやすみの日。
ゆっくりする工夫をしないと、休めない。


音が怖い。
ドアを閉める音が怖い。今でも。



主人はいつも静かにしめてくれる。

思い出すから。怒られていたこと。
よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


消耗


心の中の葛藤で、消耗するだけの人生

虐待やネグレクトは、一生その子供を苦しめます。一生苦しみながら、生きるのです。一瞬たりとも心の中の苦しみを忘れる事ができずに、生きるのです。想像できますでしょうか。そんな生き方を…。

私は、その心の中の闘いに消耗してしまい、自己実現を諦めなければなりませんでした。若い頃、私は、テキスタイルデザインをしたかったのです。生地のデザインですね。

そして、実は、結婚してすぐに、集◯社から原稿用紙三十枚程度の作品で、賞をいただき、同社に出版関係の仕事のお誘いをいただいた事があります。チャンスでした。最初は好きなファッション関係の取材の仕事でも良いとのことでした。
頂いた名刺には、憧れの社名が…。

でも、踏み出せませんでした。
その頃は、もう、自分の中の対人恐怖との闘いで心は消耗しきっていました。
くたびれ果てていました。

もし仕事をしても、心が持たなかったと思います。
心の中のお化けは、大きくなって、不気味に育っていた。
恐ろしさと闘うことで、疲れきっていました。

なぜそんなにひとが怖いのか…。
それを探すのに四苦八苦していた。
その理由が知りたい。
精神病なのか?
どこかおかしいのかな?


驚くことに、虐待された方のブログを色々読む様になって、
皆さん、恐ろしいくらい自分と同じだと思い、愕然とする。

皆、親に心の成長を止められている。
気がつかない様に洗脳されている。
親が悪いなんて気がつかない。

お化けの様なわけの分からぬ恐怖を心に持って、
それと生真面目に闘うなんて…。
若い頃…。がっぷり四つに組んだ自分。

そして…
これから、私は、どんどん病んでいく。

今でも、精神安定剤が手放せない。
朝から2錠。また一錠。

よそから見たら、幸せそうに見えるだろう。
これはね、見栄を張って強がっているわけじゃないんです。

「なんでもない様に装う」ことのプロなんです。
物心ついた頃から。
どんなに悲しくても、不安定な親の機嫌をとることができる様に育ったから…(笑)

なんでもない様に装うことができるんです。

ひまわりの様な笑顔で。泣きそうな心。
これで、五十路。泣きそうだ。
よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


四つのゼリー

四つのゼリー


母の妹の民子おばちゃんとその息子コウジとヒロフミが遊びに来た。
ヒロフミは私のひとつ年下。
当時は皆幼稚園児だった。

母は、作ってあったゼリーを出した。
コウジ、ヒロフミ、私の弟、そして私、と、子供は四人。
「あ、ゼリー、4つしか作ってなかった。」
母は、民子おばちゃんと子供3人にゼリーを出した。私にはない。

「足りないなら、いいよ、私はいらないよ。子供たちみんなに食べさせようよ。」
民子おばちゃんはそう言った。

すかさず、母が、
「幸子は、我慢しな。一番お姉さんだから。」

緑色のゼリーは、大事そうにガラスのお皿に乗っかって、
小さなスプーンが添えられた。

わあぁ〜!
みんなの歓声が上がる。

春だったと記憶している。

幼稚園年長になったばかり。

4つのゼリー。

「あんたは、我慢ね。」

私は、隣の寝室へ飛び込んで泣いた。
わんわん泣いた。

母が、怒っている。

民子おばちゃんが来た。
「かわいそうだわよね。まだ、5歳だもの。おばちゃんはいらないから、サッちゃん食べな。いいから…。」

「いいのいいの、我慢させれば。そのくらいのこと。何よ!!みっともないんだから!!」


子育てを経験した自分が、今それを考えると、そんなことは絶対できない。
二十歳の息子にも、それはしない。
友達の分はあって、息子だけにはおやつがないなんて…。


ゼリーの問題ではないんだ。

泣いている私を横目に、
皆はゼリーを食べたのかどうか…。そんなことは覚えていない。

「ほっておいていいから!みんなで食べて!」
と母が、すごい剣幕で言ったのを覚えている。
わがままなんだから。本当に、嫌な子。



皆が帰ってから、また無視が始まった。
何日も…。

私は、繊細すぎるのだろうか?
母は正しいのだろうか。
こんな毎日だった。
よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


ナッシュくん

自らを「明るく陽気」だと信じて疑わない母が飼った犬は、
どこの獣医さんにもこう言われていた。
〜母は、気に入らないことを言われるとすぐに獣医さんを変えるので、あちこちの獣医さんを転々としていた。




「この犬は、異常に神経質だね~。ゴールデンレトリバーで、こんなの珍しいな」





ゴールデンレトリバーというのは、大抵、やんちゃで明るい性格である。

でも母は、よく意味のわからないことで叱っていた。大きな
犬が飼えるような器ではない。


診察台に乗った50キロの大きな犬。金色の毛。優しい瞳。
ナッシュ、お前は悪くないよ。私は、大きな犬をしっかり抱きしめる。


私と同じ悲しみから守るように。
よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


事の顛末

帰国した家の雰囲気が最悪だったのは、

理由があった。





これは、カウンセラーの先生から教えていただいたことなのだが、

この家の軸は私なのだ。

父の機嫌を取り、母をなだめ、ストレスのはけ口は私だった。

私の渡米中この家は、ささくれ立っていた。

親の役割を私がしていたのだ。それがいなくなった家は、

幼児のような二人がお互いを神経質に探り合い、子供のような些細なことで

大げんかになる。







そこへ安らぎを求めて帰国した自分が馬鹿だった。

しかも、3歳の息子を連れて。

『面倒みさせようったってそうはいかないよ。』

と母は言った。母は子供が嫌い。でも、私は、疲れていて、時差で眠い。起きられない。ボストンの家をたたんで帰国した事は、心身ともに限界を超えていたのだ。あの膨大な作業。幼児を見ながら…。







『俺たちは、一生懸命お前の家の管理をしたんだ!草をむしって、窓を開けて、床を拭いて…。』

裏庭の草はそのままで良いといったはず。ひどかったら除草剤を散布してくれれば良い。床掃除もほどほどにと言ったはず。汚れることもなかろう。

して欲しかったのは、時々換気して、テラスの蜂の巣を小さなうちに取ってほしいかった。うちは蜂やスズメやツバメがよく巣をかける。

何度も言ったにも関わらず、放置して巣が大きくなってから、薬品を使ったらしいのだが、「駆除の薬を使う時は、下に新聞紙を敷いてね」と何度も頼んだのに、新聞紙は敷かずに、そのまま薬品がテラスの床に垂れて真っ黒い大きなシミがたくさんできていた。

ダイニングから両開きの大きなドアを開けると、四畳のテラス。グリーンと白のオーニング(お店によくある布製の可動式の日よけ)が付いていて、この空間は家を建てる時に一番凝ったところ。食事をしながら、フルオープンになるテラス。明るい白い床。緑がいっぱいに見える。

その白い床に、真っ黒いシミが醜く一面に付いているのを見て、泣きたくなった。

他にも、色々頼んだ事は何もしないで、私から見たらどうでもよい事を一生懸命になってやっていた様。

心が弱っていた私は、テラスを見て、涙が出て仕方がなかった。それでも、実家に帰ったら、文句を言わずにいようと堪えていたが、

『どうだった?きちんと管理してあったでしょ』

と、誇らしげに言われて、思わず涙が出てきてしまった。

この床は、敷き直すと三十万するそうだ…。

『なんで、蜂の巣を小さな段階で取ってくれなかったの?なんで、薬品を使う時新聞紙を下に敷いてくれなかったの?』

小さな声で泣きながら言った。怖かった。





突然、家の管理のお礼にと渡した二十万円を、「突っ返してやる!!」

と、父に怒鳴られた。







お父さんって、こんなひとだったんだ…。






初めて子供みたいに怒鳴る父を見て、心底がっかりした。

私がいないこの家は、こんなにささくれ立っていたんだ。

両親の仲は最悪。こんなひとたちの機嫌を幼い頃からとっていたなんて…。

自分の気持ちは後回し。とにかく機嫌をとる。親の機嫌をとること。家の中が、平和であること。それは容易ではない。意味のわからない不機嫌は突然に黒雲のように広がって、恐怖でいっぱいになる。

この引っ越しの疲れに加えて、実家の雰囲気。この父に怒号で、私の中の何かがぷちんと切れた。やっと立っていたくらい疲れていたのに、もう、頑張れない…。そう思った。






「よく帰ってきたね、お疲れさま。疲れたでしょう」なんて、そんな言葉を期待していた自分は、バカだった。

もし自分が母だったら。息子が何年も外国に住んで帰国したら…。

好物を作って待っているだろう。抱きしめるだろう。孫に頬ずりするだろう。

よく帰ってきたね!と、声をかけるだろう。




そんな事をいい歳をして親に期待するのは、おかしいだろうか…。



よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


最初の精神科受診:2

最初の精神科受診:2

実家は、懐かしい雰囲気だった。
不機嫌。わけのわからない無視。

ため息。

喧嘩。

そして、私たちは…たったの一週間で、そこを出た。

何か小さなトラブルで、二年半の私の空き家の管理のお礼にと渡した二十万円を父に

「叩き返してやる」

と言われたのだ。

このトラブルというのは、息子がトイレの電気を消さなかったとか、朝、遅くまで寝ていたとかそういう些細な事だった。

父のこの一言は、きつかった。
とても辛かった、これは本当に...

いつもの無視、不機嫌。

黙って食べる砂のような夕食。朝は、自分のペースで起きないといけない母。
時差もあり、きついのだ。ほぼ反対の時差。
そんなことは、全く考えてなどいない。

一日中の無視。あぁ、忘れていた、ここのうちはこういう家だった。
迂闊だった。忘れていた…。

我慢できずに、泣きながら
お鍋も布団も、何も無いこの自分のうちに逃げる様に、帰ってきた。
2年半ぶりの自分の家。
電気もガスも通っていない。
でも、こんな実家にはいられない。もう限界だった。
置いてあったキャンプ用品での生活。
ホウロウの食器や鍋。ランタンの灯り。

息子は楽しそう。
夜は水のシャワーを浴びて、絵本を読んで、
寝袋で寝た。



私にとって
実家は...
実家というところは
「この世で一番厳しいところ」なんだと思った。

異国よりも大変なところ。
そんな家だった。



でも、次の日からは、近所への挨拶、電気やガスなどの手続き、引越し荷物の到着、片付け
またまたおそろしく忙しい毎日が始まった。

休んではいられない。息子はまだ三歳。少しもじっとしてはいない。
そういえば、子供の友達も一人もいない。
また一からの振り出しだ。アメリカには公園の友人もいたが、
ここでは、またひとりぼっちだ。
また、降り出し。


けれど、ただ、自分一人で黙々とがんばっていた。




でも...数日たったある日突然
私は、何もできなくなってしまった。

わけも無く悲しくて
悲しくて

出社する主人にすがって
「一人にしないで」
と泣きくずれた。

私は限界を超えていた。


病院へ行くと、鬱の診断だった。


よろしければクリックお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへにほんブログ村アダルトチルドレン

にほんブログ村 家族ブログ 児童虐待・幼児虐待へにほんブログ村児童虐待・幼児虐待


プロフィール

ダリア

Author:ダリア
可愛くない私を、嫌々育てた母。仕事第一の父。そして溺愛された弟。病んでいく私。
ネグレクト、被虐待児のいく末です。

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR