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ハサミを持つ妄想

母は、お洒落が好きだった。

クロゼットには、イタリア製のスーツや、お洒落な服がぶら下がっていた。
中学のある夏の日、
寝室で横になっていた時、そのクロゼットがちらりと目に入った。

そばに、洋裁道具とアイロンが置いてあった。

「いつか、あの服を全部あの裁ちバサミで、切ってやろう」
そんな思いが頭をよぎった。





全部服を切ってしまうんだ。母は、どんなに失望するだろう。

今、やろうか…。
いつ、やろうか…。






そんな事を考えていたら、母が入ってきた。

ハッとして自分の部屋へ行こうとした時、
わけのわからない怒鳴り声で、よばれた。

この頃は、もう母の声がすると、鳥肌が立つようになっていた。
鳥肌の立つ自分の腕を見て、
「あ、私、こんなになるんだ。呼ばれただけで鳥肌が立つんだ。」
と、思った日のことをよく覚えている。

ブルブルっと身体も震える。




でも、
当時は、なんとも思わなかった。
でも、フッと気がついた。その瞬間を実によく覚えている。






それって、おかしいですよね。
でも、これを誰に相談するのでしょう?
誰が助けてくれると言うのでしょうか?

なので、なかった事にするのです。全てを。
そして病んでいくのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜

被虐待児は、生きるために自分の辛い経験を記憶から消します。私も、五十まで、「母が正しい、自分が悪い」と思っていました。その間、常に他人の機嫌を伺い、恐ろしい思いをしてこの世を生きるのです。
虐待は、犯罪です。こんな悲劇がなくなることが私の願いです✨
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居心地の悪いディズニーランド

遊園地のパレードが来ると、そわそわする。
なぜって、小さな子供を楽しませようと夢のような笑顔がいっぱいだから。




「かあたんと、何か乗り物に乗っておいで!僕は、ここで、場所をとっているからね。」
と、主人は息子に笑顔で言う。
すっごく優しい主人。


パレードが来るよ。
こんなに、みんなのために。きれいで、可愛いくて楽しい笑顔で。
それは、幼い人たちへのエンターテイメント。
みんなを楽しませようと、あれこれ工夫された仕掛け。
わぁ、と歓声が上がる。




鼻の奥がツンとする。
泣きそうになる。
そして居心地が悪い。
あの赤いかわいい帽子も、魔法の杖も、みんな幼い人たちへの楽しい演出。
ね、楽しいよ。って。美しい歌声。猫ちゃんも来るよ。
ほら、見て!
大きなリボンや、ふわふわのマント、赤や、黄色のストライプのフレアスカートが、ひらひらと、ひるがえるさまは、女の子にとっては、まるで、夢の様。
美しい光、色鮮やかな衣装。ヒラヒラと舞う花吹雪。
暖かい家族の姿。子供のためにたくさんの風船を買って来るお父さん。はしゃぐお母さんと子供。ピースサインの写真。
ふと、いたたまれない気持ちが沸き起こる。
あれはね、お仕事でしてるって、よくよくわかっているのに。なぜ心が動いてしまうのか。泣きそうになるのかな。隠れたくなるほど、居心地が悪くなってしまうのかな?
~~私は、なぜ、そんな風なんだろう。



それは、主治医によると
『幼い頃、母に、笑いかけられたことがなかったから』だそうだ。
ディズニーランド。こんな華やかな場所は、私なんかみたいな「嫌な子」は来ちゃいけないような気がして…。
そしてひとりで、いたい。
「あんた、ほんとに、嫌な子。」と、蛇のような目で私を見る母が、まだ、心の底にいる。いきなり、幼稚園のカバンをものすごい勢いでひったくり、声が枯れるまで怒鳴り散らす母。「この子は本当に憎らしい」と、近所のおばさんに大声で言う母…。

近所のひとが様子を見に来るくらいの常軌を逸した叱責。

冬の夜に、外に放り出される。生垣の脇で猫と寝る。そのうち、その唯一の友人の猫を、母は、私の知らぬ間に、捨ててしまった。死ぬほど怖かった。母は、「あんたもいなくなればいいのに」暖かいコタツで、みかんを食べながら、気味悪く言った。私もいつか捨てられる。私は、「嫌な子」。そう刷り込みがされた。




実は、私は、身体の痛みを感じない。なんでも、我慢できる。幼い頃は、交通事故にあっても、平然としていた。
右人差し指の骨にヒビが入って、さらに関節が二つ捻挫していても、舞台でサン=サーンスの動物の謝肉祭全曲の連弾が、弾けてしまう女(笑)出来映えは知らないけれど…。(笑)幼い頃は、どんなひどい怪我でも、痛い、と言ってはいけなかった。そう育ってきた。野良猫みたいにひとりで治す。今でも高熱があっても気がつかない。不調がわからない。死ぬまで働く自分。怖いものです。


母は、私が、まわりのひとに褒められるのを極端に嫌った。「かわいいわね」なんて言われたら、「あー、やだやだ。」「いい気になるんじゃないよ。」と機嫌を損ねる。それからしばらくは、小さなことで怒られる。『あーーーーーイライラする!』と怒鳴られる。~~嫌な汚い私の方が好きなんだと、刷り込まれていた。

私は、女性が、怖い。どう振る舞えばいいか、わからない。こんな歳になった今でも、まだそんな気がしてしまう。
男性は、平気。男子の友人は多かった。気が楽。高校は、ほぼ男子校。これは本当に良かった。楽しかった。男子は、容姿のことなんて何も見てないし、そういうところには鈍感で気がつかないから。(笑)
でもね、幼い頃は、いつもひとりでいた。きれいな石を集めたり、草花を摘んだり、していた。長い時間よくそんなモノを眺めていた。





「これを克服しないといけない、自分の力で切り開いていかねばならない、親のせいにしていたらいけない、と、思う必要は、ありません。親のせい!そう思ってください」

「自分は悪くないと毎日思ってください」

「自分らしく生きたっていいじゃないですか」

「本当の自分を自分で育て直してください」と、何度も、主治医に言われた。

そう、自分を苦しめていたのは、自分の中の『ものさし』。みんなと同じように生きなければ、と、思うこと、これを捨てればいいんだ。




あぁ、ディズニーランド…。私は、あそこで堂々といられない。
この気持ちは、今もどうしようもない(笑)
居心地の悪い、場所なんだ。






お盆は家族が集まる。
暗い台所で、母が鼻にしわを寄せて幼児のように言う。私の顔を見て。
耳を疑う。
「大っ嫌い」
聞かなかったふりをして普通に振る舞う。
頭がおかしいのかと思う。



たった二時間いるだけで、まいってくる。
蘇るんだなぁ…、色々なことが。五十年も前のことが。
気味の悪い蛇がどこからかヌルヌルと顔を出す。
この蛇はね、母が死んでもきっとずっとずっと私の心の中に居続けるだろう。
いつもは仮死状態でいるが、たまにこうして顔を出す。
実家に行く時は、必ずノーメイクで、ジャージで。ズック靴で。
それが一番なのです。
いらぬ嫉妬を買うことはありません。
汚くして行く。(笑)




私の苦しみは、母が生きていても死んでも関係ないのだそうです。
心に住み着いた恐ろしい蛇を自分がこの手で殺すまでは、
この苦しみからは、解放されない。
〜〜これを内在化というそうです。




腹に一物あるような気持ち悪い居心地の悪い家。
「あなたは自分らしくいてはいけない」というメッセージが
送られてくる。
父、弟までも、黙り込んでいる。母の不機嫌に支配された
この家のいつもの雰囲気。

気を使った義妹が私に話しかけてくれる。

ありがとう◯ちゃん。





心の中の蛇と一緒に生きる必要はありません。気味の悪い蛇を殺してしまうことです。その蛇を殺すのは、実際の蛇を殺すのと同じくらい勇気のいること。ほどいてもほどいてもでも、しつこく腕に絡みつく白い腹の気味の悪い生き物。この蛇の退治に五十年取り組んでいます(笑)

完全なひとはいない。
欲張らないこと。
こういう人も、たくさんいる。
みんな何かを抱えて生きている。



私の家はこの主人と息子のしあわせな家。
私の家は、ここなんだから。



私は覚悟を持ってこれを書き続けていきます。被虐待児がどの様な思いで生きていくのか、書いていくつもりです。そして人間の心をこわしてしまうとどうなるのか知って欲しいのです。
弱いだれかを虐待しているひと。あなたが今していることは、犯罪です。
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タイミング

十年前の夏の日。
主人が、上司に私が癌闘病に入る話をしておこうとある会議室へ向かった。
これから主人も少し仕事にも支障が出る可能性があるという事です。
が、主人は部屋を間違えて待っていた。

すると、知り合いの方が偶然入ってきた。
雑談をしていたら、
話すつもりもなかったのに、
主人の口から私の病のことがスルスルと出てきたそう。

言うつもりはなかったそうです。

その方が、「ちょっと待って」
と携帯を取り出して、電話をしてくれた先は、
乳がんの権威である日本でも有名な医師のところ。

先生はその方の高校時代からの親友だそうです。

今、手術中ですが、と言われたら、
それでも繋いでくれと言ったら、
手術中の先生のところへつながった。

紹介状がなければ、絶対に診察はしてもらえない。
「あ、そう、じゃ、明日来て。」

と言われた。

その先生は当時許可が下りたばかりの最新のハーセプチンという、
分子標的の抗がん剤治療ができる当時日本では数少ない医師だった。
アメリカでも活躍した先生。


実は、私の胸のシコリは、その五年前の検診で、見つかっていた。
が、私は、なんと、放置したのだ。
なぜかわからない。
なんとも思わず、ほっておいた。
でも、でも、五年前に治療に入っていたら、
絶対に助かっていない。
五年前にはハーセプチンは日本では認可されていなかったからだ。


その最新のハーセプチンしか効かないタイプの癌でした。
他の抗がん剤は効かないのです。
そして極めて悪性度の高いタイプ。




癌宣告された年に、日本で認可が下りたばかりの薬。
そしてそれを扱える数少ない先生の紹介状。




私の体にできた4.5cmもの腫瘍の細胞を
太い注射器のような針を刺して採取して、
DNA並びを調べて、それに直接効く薬を選ぶ。
分子標的治療。

先生のパソコンには、私のDNAの二重螺旋構造の画像が見える。
この細胞にピンポイントで効く薬。

白く映る腫瘍は太い血管を作って血液を取りこんで
増殖していた。腫瘍に向かって恐ろしい太さの血管が一本。
愕然とするような画像だった。
癌というのはこうやって血管を引き込むのだと説明された。

でも、ハーセプチンの効かない人が3割くらいいます。
効かなかったら、あと三カ月です。
と、言われた。

あれから十年。

私は生きています。
生かされているのです。きっと。


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今、我慢している方。
親の怒鳴り声が消えずに
苦しいと思っていらっしゃる方。
どうか、みんな休んでください。

抗がん剤治療のベッドが並ぶ大きな部屋で、
ある女性が声をあげた。

『ねえ、みんな、思い当たること、あるでしょう!私は会社を興して、必死に働いてきたの。無理に無理を重ねて。精神的にもいっぱいいっぱいで。みんな、頑張ってきたのよ!それで、病気になっちゃったの!みんな思い当たることあるでしょ。だから、もう休んで!みんな、休もう!!』

後半は泣き声だった。

抗がん剤の点滴を受けながら、泣いているひともいた。

苦しみを、抑えつけないでください。
辛い時は、休んでください。

悩まないでください。
本当は、ありのままの自分で生きたいですよね。
あなたは悪くないのです。
あなたのせいではありません。

あなたの心の中で、生き続ける怖いお母さん。
もう、それは、幻なのですよ。

もう、いないのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
虐待…。弱いだれかを虐待しているひと。あなたが今していることは、犯罪です。




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余命三カ月

前にも書いたが、母の子育てがおかしいと思ったのは、ずっとあと。
結婚して、自分が家庭を持ってから。

マンションのまわりには小さな子どもを持った家庭がたくさん住んでいた。

でも、どこの家も、子どもを怒鳴る声も、泣き叫ぶ声もしない。

おかしい…。

私は、自分の子どもを持ってから、さらに、実家への違和感を感じるようになった。
三十になっていた。

母の子育ては、おかしい…。そう思うようになった。

それまでは、怒りや悲しみは封印されていたのだ。
気がつかなかった。まるで別人格がいるように…。

恐ろしい事だ。なんと、母のことが好きだった。

しかし、自分の生きづらさは、もう頂点に達していた。
対人恐怖症。視線恐怖症。鬱。過度の神経質。
恐怖に駆られて生きる人生。

ひとが恐ろしかった。
蛇のように絞め殺されそうになる。
いつ怒り出すかわからないひとと言う恐ろしい生き物。
世の中、ひとだらけ。

ひとが、うじゃうじゃいるのだ。

そして私は、どんなに疲れていてもその『疲れ』に気がつかなかった。
フラフラでも、なんでも、我慢ができる。
生きることは辛かった。
全く希望なんてものは持ったことがない。
いつでも怖かった。

はっきり言うと、いつ死んでも良いと思っていた。
人生なんて早く終われば良いと思っていた。
誰に会っても、その人の機嫌を取らねばやっていられないという習性。
疲れきっていた。
自分を蔑ろにして。
自分なんかどうだって良かった。
ひとが怒らなければ…。

そうやって、神経をすり減らしてすり減らして生きてきて、
ある日突然、大きな病が降りかかる。

極めて悪性度の強い乳がん。
この抗がん剤が効かなかったら、


「あと、三カ月です」

「あと、三カ月です」


それは、こだまのように何度も頭の中で鳴り響く。

え…。

あと、三カ月か。


死ぬのか…。

何がなんだかわからなかった。


息子は、小学校四年。


自分の命なんてどうだって良いと思っていたが、
息子のことを考えると、夜、お布団の中で、
つーっと、生温かい涙があとからあとか流れてきた。
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繊細な子

私は、とても繊細なタチであった。

三ヶ月の頃、悲しげな子守唄を聞かせると、
シクシクと泣くような子だったそうだ。

私も今二十歳になる息子を育てたが、
そんな乳飲み子がシクシク泣く事は一回も無かった。

この子は、すごく神経質だ、と、母は言っていたそう。
そして、
面白がって
その悲しげな子守唄を歌って私が泣くのを
皆に見せていたそう。

今でさえYouTubeで、そんな赤ちゃんがいるのが話題になり
テレビなどでも紹介されて驚かれたりするが、
私もそういう子供だった。

私なら、そんな子供ならば、「心を大事に育てないと…」と
思うだろうが、母は、そんな事お構いなく
自分の気持ち次第で、イライラをぶつけ、
同じことをしても、ある時は笑い、ある時は烈火のごとく怒るという
意味不明な一貫性がない子育てをし、
私はいつも混乱していた。

物事は善悪ではなく、母の機嫌ひとつで何が正しいのかが決まるのだ。

人の気持ちなど、全く理解できない人。
まるで、大きな子供。

私は、人の機嫌を常に伺う、
自分の気持ちを押し殺す、母の言いなりのペットに育っていった。

〜〜〜〜〜〜〜〜

被虐待児は、生きるために自分の辛い経験を記憶から消します。私も、ずっとずっと「母が正しい、自分が悪い」と思っていました。その間、常に他人の機嫌を伺い、恐ろしい思いをして生きるのです。
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怪我よりも恐ろしい怒鳴り声

七五三の思い出、もうひとつ。
お友達が晴れ着を着たと言って、呼ばれた。
小学校一年生だったと記憶している。
飴は、お呼ばれした皆に振る舞われた。

ひとしきり庭で写真を撮る。
優しいおばあちゃん、おじいちゃん。
そして、七五三飴をいただいて、家に帰る時、
そのお宅の二階の部屋から外階段を下りる時に
転んでしまって、私は、階段から落ちてしまった。

手には、クチャクチャになった七五三飴の袋。
顔から落ちて、歯が折れた。
血だらけになった私を、友人のお母さんが、
優しく介抱してくれて
送ってくださった。


家に着くと、興奮した母が怒鳴る。

「何やってるの!!なんで、手すりを掴まないの!!!
全く卑しいんだから!!飴なんかどうだっていいのに!!!」

「飴を握りしめていて、馬鹿みたいに喜んで階段から落ちたんだってさ!」

母の言葉。


人間は、咄嗟の時には、手に握っているものを握り変える事は出来ないそうだ。
そのまま、持っているものを握りこんでしまう。

そして、手で支えることなく、顔から落ちた。


ソファーに寝かされて、ギャーギャー泣く。
怖かったからだ。興奮する母が。

「そんなに怒らなくても。今、ちょっと、そっとしてあげたら?」
と、おばちゃんは、言いながら、帰ってしまった。

おばちゃんの、言葉をとてもよく覚えている。
母は、女の子だから、顔に怪我をしたら。とか、なんとか
言い訳を散々していた。

でも、面倒なことをやりやがって、という顔が、アリアリとわかる。
たしかにそんな事も言っていた。

とにかくこういう時は、言いたい放題。

さて、

恐ろしかったのは、その後だ。

卑しいだの、そんな飴なんか、食べたことあるでしょ、だの、
何故飴を手から離さなかったのか延々と責められた。
手をつけば良かったのに。と。


私は、卑しい。飴ごときで。
自分でも、そう思った。怖くて自分を責めた。
何があってもいつもそうだ。
お前が悪い。

唇や歯は痛くはなかった。ただ、怖かった。

泣き疲れて眠ってしまった。が、また、怒鳴る声で、目がさめる。
まるで、バケツの水をかけながら行われる精神的リンチだ。
眠る。怒鳴る声で、目がさめる。この繰り返し。

父が帰宅しても、私がいかに馬鹿なことをしたのかを父にがなりたてた。

唇は大きく腫れて、前歯が二本折れた。


〜後に歯医者に行って診察を受けると、正確には、歯の根っこが折れた。
当時のレントゲンには写らなかったが、この出血では、恐らく折れているだろう、と、言われた。
でも、当時の医療では、放置でした。
グラグラでいずれ抜けてしまうかもと医師には言われた。


「まったく、馬鹿なんだから!」
「歯がないなんてみっともないじゃない!」



何日も死ぬほど怒られた。
今でもその声が耳から離れない。

怖かった十一月の日。
友の家の玄関の美しく仕立ててあった菊の鉢植え。
泣きながら見ていた。
何故かよく覚えている、その菊の鉢。



帰ったら怒られると思って、帰れなくて、
呆然と、泣いていた。
立派な菊の鉢の前で。


血だらけのタオル。

口の中は、いつまでも血の味がした。


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七五三の晴れ着


「あんな馬鹿みたいな、ことはしないから。」

七五三のことだ。

母が私に選んだのは白のズボンのスーツだった。
これだったら、何かあったら着回せるでしょ。

だが、着たのはこの一回きり。
神社では、晴れ着の女の子で賑わっていた。

神社にはこの日の為に結った日本髪で晴れ着ではしゃぐ子供たち。
パニエの入った鮮やかなドレスを着る子もいる。
子供らしいお姫様チックな姿ではしゃぐ子ら。
これは大人の趣味ではない。
子が着たいと言ったものを着せてやる度量が、
母にはなかった。
あくまでも、自分の趣味を押し付けた。
自分の満足が第一なのだ。

華やかで、そこだけ光が当たったような
晴れやかな家族。
写真を撮るおじいちゃん、おばあちゃん。
目を細めている。

私は、さっさと弟と、写真に収まる。
つまんないなぁ。と、手持ち無沙汰にしていたのを覚えている。
それを見れば、母は益々私が可愛くないと感じたのだろうなぁ。


「笑いなさい」
と言われれば言われるほど、惨めな気持ちになる。


なぜ、ズボンなんだろう。
惨めだった。
母は、女性という性に何か嫌悪感を持っているのかもしれない。
「女」が嫌なんだ。

「キチッと理知的な格好がいい。フリルや、レースなんて大嫌い。」
と、よく言っていた。


「いいでしょ、これで、
こんなくだらないのは馬鹿馬鹿しくて大嫌いなのよね。
賢いひとはこんなことにお金は使わないもの。
親戚なんかよんで、宴席なんて、やだやだ。」

ヒステリックに叫ぶ様に繰り返す。自分に言い聞かせるように。
正当化するように。

この人は、生きていること自体が嫌だったのでは…と、最近思う。


生活に困っていたわけではなかった。

ただ、母がそういうことが嫌いなだけ。
面倒なのか、どうなのか…。

親戚に行くと、同じ歳の女の子の晴れ着の写真を見せられる。
その場では、褒めちぎるくせに、帰り道では
「あんなのにお金をかけてバカみたい」
と、けちょんけちょんだ。
私は、ひとというのは、こういうのが普通なんだと、
「学んだ」

ひとは、怖い、と、学んだ。
陰では、こんなに馬鹿にしている。

けれど、絶対にこれで、良いんだ、と、
私は自分の感情を殺してきた。子供は、そうしないと生きてはいけないから。

「私なんか…私なんか…」と、自己評価は低くなっていく。
そんなお祝いをしてもらう価値などない、と。


母は絶対。

その洗脳は、五十年、とけなかった。
生きていく為に、必死て抑えていた感情。
封印していた感情。



皆さまお子さんが、可愛くないと思ったら、
里子に出してくださいね。我慢して育てても、
不幸を呼ぶだけです。
子供の心を壊してまで、我慢することはありません。







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似顔絵

残っている唯一の似顔絵

私の幼い頃に描いた似顔絵、泣き顔だった。

「なにこれ?」

と、母に言われた。

弟の絵は笑顔。

「あんたは可愛くない」と言われた。
吐き捨てるように。


嫌だね。この子。気持ち悪い。
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不機嫌なお正月

最近の話…。

母は最近、モウロクし始めた。
子供の様に思ったことを口にする。
抑える理性はもはやない(笑)

昔からなかったのだけれど…。



実は母は、
数年前までは、弟と、不仲だった。
その頃は、お正月、弟家族は来ない。

仕方なく、弟家族抜きで料亭で、食事をすることになった、数年前のお正月。
両親と、私の家族。主人と息子。

もう、最初から、不機嫌丸出し。
母は弟に会いたいのだ。
他はどうだっていい(笑)




私は、通例でお正月のお出かけはどこへも着物を着ていく。

事件があったのは、帰りのことだ。

「あんた、いつも、着物、素敵で、憎ったらしい」

と、面と向かって母が私に帰り際に言ったのだ。
幼児の様に鼻にシワを寄せて。
口を歪めて。

信じられない。

ああ、これは、弟が来なかったのが気に入らなくて
私にあたっているんだなぁ、とは、
わかったが、

あまりのことに呆れ返った。
帰り際に、「憎らしい」と、はっきりと言われる。


この人はもう、壊れている、そう思った。
半分ボケているのかもしれない。

孤独な人。話す人もいないのだろう。

お茶を出すのも、大義そうにしている。演技なのはよくわかる。
現に体操教室やらには通っている。
嫌なので私はペットボトルのお茶を持っていく。

私は、母の台所仕事は、絶対に手伝わない。
なぜって、大声で叱られながら、
泣きながら手伝っていた昔を、思い出すから。

母が、お皿を出して、と言う。
どのお皿?
いや、どれでもいいから…。
じゃ、

と言って出したものが自分の思っていた物と違うと
途端に不機嫌になる人。
不機嫌は、数時間、いや数日続く。
数日無視。

「なぜこのお皿を出して」と言えないのか、わからないけれど。
なんでも察してもらって、やってもらうのが好き。

黙っていても思った通りにしてもらわないと
激昂する。
「察して」欲しいのだ。






今、老いた母がしんどそうに家事をしていても、
家の者は、誰一人として手伝わない。
意味のないこだわりがあり、
その通りにしないと、大変面倒だからだ。

大人になってみると、これにどっぷりと付き合っていたら、
心が病むのは当たり前だと、わかるのだが、
幼い頃には、わからないこと。








私は、その年からもう、お正月は
ユニクロの暖パンに、フリースで、髪をひっつめにし、
お化粧もしないで、新年の挨拶だけ実家へいく。
弟家族が来ていれば、母は機嫌が良い。
自分の息子の手前、私は、お正月だけは、きちんと挨拶に行く。
親戚というものに会わせてやりたい、それだけの気持ちだ。

所詮私なんてどうでも良いのだ。
よほどの用事がなければ、実家へは行かない。

後から、電話で、母は謝ってきた。

『わかるじゃない?ね、ここの方言だよ。〇〇の言い方よ。憎いくらい素敵って言ったはず。
全く〜、憎いくらい素敵って、言ったのに…私は、〇〇の人間だから、こういう言い方になっちゃっただけでね…』


『は?私も、〇〇の人間。〇〇の言葉くらいわかるわ。』

と、きっぱり言い返してやった。
ぐうの音も、出ない。

沈黙が受話器の向こうから流れた。
立場は逆転しているのだ。

聞き間違えるはずもない。






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プロフィール

ダリア

Author:ダリア
可愛くない私を、嫌々育てた母。仕事第一の父。そして溺愛された弟。病んでいく私。
ネグレクト、被虐待児のいく末です。

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