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怒りの方向

歯磨きが上手にできない幼い兄弟。

冬の夜。お風呂上がりに兄弟で歯磨き。
私が歯磨きが辛くてヨダレでパジャマを汚してしまった。

「あーー!何をやってるの!!!」

母は汚いだの、だらしないだの烈火のように怒る。
まるで狂ったような声。


私を腕をひっつかんで外にだした。
大人の恐ろしい力。
寒い冬の夜。
お風呂上がりだった。

いつだって、父の帰りは遅い。

ごめんなさいは?

言わないんだったら、そのままだ。外にいろ!

泣きながら外で、玄関の扉を叩く。
入れてはくれない。


そのうち泣き疲れて外の柱の影に立っている。

怖い闇。
裸足で所在無げにただ立っている。

泣くのも怖い。
気が違った様に、バタバタと走り回り家中の鍵をかける母。
大人の力にはかなわない。
諦める。

真冬の夜に庭の石の上に座る。
寒かっただろう、と、思うが、
寒かったという記憶がないのだ。
不思議。

夜の闇は、子供には絶望だ。
「泣いても無駄だよ!!」
大声の叫び声が家の中から響く。

だから、泣かない。面倒。
泣いたからってどうなるものでもなかった。かえって母を興奮させるだけ。
泣けばいい!!と、叫ぶ声。

父は帰宅しない。


そしてしばらく経ったある日のこと。


同じことを弟がした。
歯磨き粉のついたヨダレでパジャマを汚したのだ。



母は、弟にはこう言ったのだ。

「あらら、やっちゃん、ちょっと汚しちゃったね。
待ってママが拭いてあげるから。大丈夫、ちょっと、待ってね。」


…。



すると、母の対応に私は我慢できずに、
私は突然、弟を押し飛ばした。
母ではなく弟を押し飛ばした。



理由もなく弟をいじめたと言って
母は恐ろしいくらいに私を、怒鳴った。
耳が痛くなるくらい怒鳴られた。
体が固くなる。


まだ幼い頃。
言葉もうまく喋れない頃。

口で言えなかったことが弟への暴力として
出てしまったのだ。

そしてもうひとつの理由。「絶対口ごたえはするな」と、常に言われていた。
「口ごたえは許さない」と。

私は、怒りのやり場が分からずに、弟を渾身の力で突き飛ばした。

『全く、ひどい子だよ。何するかわかりゃしない。頭がおかしいんじゃないの!?』


四十年後私が、この時の私の気持ちを話すと、母は、静かに黙ってしまった。

私は、いけなかったのでしょうか?





私は何も悪くない。
私は、悪くない。
今、こう自分に言い聞かせる。

嫌いな子供を育てるくらいの不幸はありません。
中絶、里子、色々な道もあったでしょう。
虐待はね、犯罪です。心を壊してしまいます。



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リカちゃん

お人形さん

リカちゃん人形。
タカラのコマーシャルは、子供が好きそうな
色とりどりのきらめき。

食い入るように見る幼い私。

クリスマスが近い。

あのお人形が欲しい、と、勇気を出して言ってみた。

「私、あんなの安っぽくって大っ嫌い!」
「子供のくせにコンパクトだの口紅だの、馬鹿みたい。」

弟は、いつも何かしら希望通りのプレゼントが与えられる。
レゴ、リモコンカー。



さて、クリスマスの日。


プレゼントの包みを開けると、
母が気に入っていた高級デパートのイチゴのカギ編みのバッグと
申し訳程度に大人用のリップクリームが入っていた。

嗚咽で喉が痛くなった。
泣きたかった。でも泣いてはいけない。
絶対に泣いてはいけない。
でも、本当は
本当は大きな声で泣きたい。
でもそんなわがままは許されない。

「何よ、嬉しいでしょ、嬉しいわよね、高かったんだからね」

いらない、こんなの、と、心の中で叫ぶ。
でも、黙って下を向いた。


クリスマスの翌日にはお友達が集まる。
皆、当時大人気のリカちゃんを持って集まる。

私だけ持っていない。

ピンクのラインストーンがついたバッグの中に小さな淡い色のオモチャのお化粧品の入ったものを自慢げに広げる子もいる。ピンクや黄色、虹色のイラスト。小さなコンパクト。
うらやましかった。

ね、ちょっと貸して…。

やだよ。なんで。

ちょっとだけ…。触らせて…。

何で、やだ。

誰も貸してはくれなかった。

泣きながら歩く帰り道。

ひとりぼっちだった。





家に帰っても、イチゴのバッグを見るたびに嗚咽が込み上げて来た。
どこかへ隠した。

子供には子供なりの世界がある。そんな子供の気持ちを全く理解できない母。子供の表情や、様子を思いやるという気持ちが全く欠けている。

それから出かける時には、そのイチゴのバッグを持たない私を母は責めた。
泣きたかった。

持ってみなさいよ、ほらかわいいじゃない。
何よ、笑いもしないで。

泣きたかったが、作り笑いをするしかなかった。
大嫌いなバッグ。

そのバッグを大事にしない私を、母は憎らしいと責めた。

「こんなの捨てちゃうから、いらないんでしょ!」



私は、それを捨てる母を黙って見ていた。
自動的に感情を殺して。





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記憶の封印

自分にしっかりと自我が目覚めた頃から、
なんとも言えない生きづらさを感じて生きて来た。

何とも言えない感情。

そして、私は、血の滲むくらいに絡みついた母の束縛という鎖に、
五十近くまで全く気がつかなかった。

何故?

それは、感情を封印されていたから。

「毒親育ち」、今流行りのことば。
一番怖いのは、呪縛のこの鎖に気がつかないくらいまで
感情を押さえつけられ、感覚を失わされて生きていくことだ。

私は、今でも実は体の不調や、痛みも、あまり感じない。
幼い頃から体の不調を訴えたことはあまりない。
熱があったこともない。あっても、気がつかない。


母の考えは絶対なのだ。
常に人の悪口を言っていた母。
それを信じて生きてきた。母には同調してきた。

そしてそれに気がついてからも、
その束縛の恐怖から出て生きることが
恐ろしいのだ。

「私に逆らったら100倍にして返してやるから」
と、なん百回も何千回も言われて育った。

逆らったら?
どうなるのか…。
恐ろしくて怖くて、生きていけない。
外に追い出される。冬の夜に…。

悲しかったことも、最近思い出したこと。
それでも、母が怖い。


ものすごい、洗脳である。
一生、母の奴隷。

子供は親が、いないと、生きていけない。
都合よく母の仕打ちを忘れていかないと、
生きてはいけない。

恐ろしい気持ち、悲しい気持ち、悔しい気持ち、
全て、我慢していくしかないのです。

社会人になって親友から「ダリアさんって絶対怒らないよねー。不思議」
と言われたのを不思議な気持ちで覚えている。
怒れない、それは、自分を蝕んでいく。

そして場合によったら、こういう場合、別人格を作ってその別人格に
悲しみを託すのです。

私は、さいわいにもそこまでは行きませんでしたが…。

でも、恐ろしい事です。
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隠していた交通事故

昔、整体の先生に母が言われた。
「偏っている。心も、体も」
つぶやく様に言っていたので、母は、聞いていても聞かぬふり。でも、私にはよくわかった。



私は、結婚して小さなマンションに住んだ。子育て世代がいっぱいのマンション。

幼い頃の私のうちは、母の絶叫の怒鳴り声と、私の泣き叫ぶ声が常にしていた。「子育ての時代はみんな必死だから、当たり前。一生懸命育てようとすれば、当たり前。」と、母は言っていたが、マンションの周りからは一切そんな声は聞こえてこない。


おかしいな。なぜなんだろう。そして家を建てて今の家に住んでも周りの家からはサッカー中継の応援や、笑い声は聞こえてきても子供を怒鳴る激しい声は聞こえてくることはなかった。



これは…、と思った。変。変なのはどっち?そう、私の育った家。
ここで私は初めて虐待の事実を疑ったのだ。




私は小学校上がる前に交通事故に遭ったことがある。ひとりで友達の家に遊びに行った帰りに道。母に言われた帰宅時間を五分過ぎでいて、慌てていた。

時計を見たとき、身体中が泡立つくらい恐ろしかった。叱られる。急がなきゃ。いつもは必ず止まって左右を確認する細い道。このときはそんなことどうでもよかった。


私は、その路地を飛び出し、徐行していた軽トラにぶつかった。幸い怪我は腰を打って足を引きずる程度。

私は、この事故を母に𠮟れらるのが怖くて黙っていたのだった。

運転手の若い人が送って謝ると言ってくれたが、家の前で
「内緒にしてほしい、絶対に家に来ないでほしい」と、泣いて懇願したそうだ。

びっこをひく私は、転んだと嘘をついて大したことはないと言った。母も、興味もなさそうに怪我を見ることもしなかった。

数日後、軽トラのお兄さんが、心配して家にやって来た。


「お嬢さんが、お母さんに黙っていて欲しいというもので、お詫びが遅くなってすみません」
と。


やり取りを障子の陰で聞いていた。恐ろしかった。怒鳴られる。



そのお兄さんが帰ると、顔色を変えた母に

「このことはみっともないから誰にも黙ってるんだよ。わかったね。」

と、はっきりとした大きな低い声で言われた。







震え上がるように恐ろしかった。


「私がいけないんだ。すべて、自分が悪いんだ。」
何かの罰なのだろうと思った。嫌な子だから…。

父が帰宅すると、病院へ行けと言う。
しかし、次の日も、その次の日も、いつまでたっても病院へ行くことはなかった。
これは、もう、四十五年も昔のこと。


私はたまに、心がぐらぐらする。忘れていたことをふと思い出す。もう、昔のように心を封印できない。

子供は虐待されても、なかったかのように心の中に封印してしまう。傷ついていることを無いことにしてしまおうとする。親がいないと生きてはいけないのだから。自分の親を良い存在と思おうとするのだそうだ。

車にはねられて、そんな怖い思いをしたのに、それを言えない親って、どんな親だったのだろう。
どれだけ怖かったのだろう。どんな毎日を過ごしていたのだろう。



大丈夫だよ、と自分に言い聞かせる。
大丈夫。あなたは悪い子じゃないよ。罰なんてそんなことないの。


お母さんは、お友達もいなかったんだよ。いつもひとりぼっちだった。子育てが嫌だったんだよ。

毎日、かわいそうだったね。毎日すごく怖かったね。


でも、もう終わったよ。









どうか、みなさま、子供の心を大事に育てて下さい。子供の心は柔らかく、健気です。何か起こると、自分のせいと思うのです。~~紛争地帯で親が殺された子は、自分が悪い子だから親が殺されたんだと思うことが多いそうです。


この世の中から、幼児への虐待がなくなりますように。悲しい思いをしながら育つ子供がひとりでも救われますように。それが私の願いです。



私は、今でも、スキーの左ターンが苦手(笑)


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三つの心配と改名

今後の心配ごと。
並べて出してみた。


親戚の、葬儀の出席。

あと叔父叔母も四人しか生きてはいない。

母の親戚は全て母が縁を切っているので行かなくて大丈夫。

いとこには、私の体調不良を話してある。
万が一のお別れの時は、最悪お花を送れば良い。
母は子供なのでそういう連絡も機嫌の悪い時は弟経由で来る。
私に直接は来ない。

そんな大人気ない常識のないひとと顔を合わせたくはない。
だから、お花を送れば良いとする。
〜ひとつ解決。




父は良い介護の施設に入れてあげたい。
交通の便もよく、清潔で食事も美味しいところ。

正直母は、どこでも良い。
出来るだけ安い田舎の遠いところ。
見舞いに行くつもりもない。

弟は遠くに住んでいるので、主人が手続きをしてくれるという。
〜二つめ、解決。



先日、母は骨折したが、遠くにいる弟から聞いて、
電話したら、
『バレたか』と言った母。
その意地。

一切関わらないで欲しいそう。

何があっても、行かなくっていいらしいですよ。
〜三つめ解決。



そして、私は、改名する。
今までの名前は親に呼ばれて身の毛がよだつ思いをした名前。
母が怒鳴り続けた名前。
嫌な思い出。

ホッとする名前に変えたい。
昔から、理由は分からなかったけれど、
ファーストネームで呼ばれるのがとても嫌だった。
それは、母に呼ばれていた名前だからなんだね。

ここで、私は、改名をする。
戸籍ごと変えるのは面倒なので、通称名ということで、妥協。
免許、保険証、マイナンバーなどのもの以外は、
通称名を名乗ることにする。

もうあの名前で呼ばれることは、ほぼ無くなる。

そして、両親の写真を立てて、お線香を焚こう。
死んだということにしよう。
もう、形から整える。
さようなら、地獄の家族。

でも、その呪縛からは簡単には離れられないだろうと思う。
少しづつ、で、いい。

だから、会わないで、お線香を焚こう。
寂しい時もあるだろう。不安もあるだろう。

少しずつ。
動く。

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産まれてガッカリ

私が産まれた時に、父は女の子が産まれてそれはそれはガッカリして、
誕生を聞いてすぐにやけ酒を飲みに行ったそうだ。
母はそのことを、親戚や、近所のひとに、さも当たり前のように話していた。

何度も何度も。どこへ行ってもその話をしていた。なんの意図があったのだろう。


「ね、もう、なんで女だったんだろう…。心底ガッカリしたのよ、皆で。この子が産まれた時ね。」

「もうみんなガッカリ。女なんか産まれちゃって…。名前も男の子の名前しか考えてなくって、もう、どうしようって。」

「ちょっと見ただけで、パパはやけ酒よ。帰って来なかったわよ」


これは、幼稚園ごろまで続いた。

で、ある時、親戚の集まりで、いつものように始まったこの話に、

「子供の前で、そんな事言うもんじゃないわよ!」

と、母はピシャリと義姉に言われたのだ。
この義姉には母は、嫉妬と憧れと、嫌悪感を持っていた。自由に生きている利口な人。

ふて腐れたような顔で子供のように顔を背けたのを
私ははっきりと見た。決まりの悪そうな母の顔。


けれども、幼稚園の私は、ちっとも悲しくはなかった。何故って、ね、こんな事は、日常茶飯事。
自分でも、私は皆に嫌われていると、当然のように思っていた。
自分なんて何に価値もない。産まれながらの厄介者。「嫌な子」なんだ。
そんなことは、当たり前と、思っていた幼児。悲しい気持ちなんて許されない。

へらへらとごまかしたような笑いを浮かべているのが精一杯。
どんな顔をしていれば良かったのか?
仏頂面は許されない。悲しい顔?いやいや、怒る?もってのほか。そう、
ヘラヘラと卑屈な顔をして笑うしかないか…。
小学校前の幼児。悲しい性。


お正月に親戚が揃う温泉旅館のロビーで。
座っていた順番まで覚えている。
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三十年の洗脳

洗脳が解けたのは、30年後


母の言うことは一番正しい。
逆らうことなど考えもしない。
母の意見には全身で同意。そこに何の疑問も抱かない。
いや抱けない。
人を怒るなんてしたことがない。
悲しいという感情も無い。封印している。
全て自分が悪い。
どんな理不尽な母の言い分にも同意する。
機嫌を損ねないように。

それは母が、不機嫌になって無視が数日も続くのが恐ろしいからです。

私には弟がいた。母の溺愛する弟。
毎日帰宅の遅い父。週末は、ゴルフ。
家庭は母に任せれていた。
〜後に、弟は『父は逃げていた』と言っていたけれど…。

私は、この中で、母の不機嫌と理不尽と、大声と、
無視に耐えてきた。
恐ろしいのは「自分が悪いから」と、思いこんで…。

でも、そんな洗脳が解けたのは、自分が子供を産んだ時だった。
私は30歳になっていました。

いつも怒鳴り声と不機嫌と無視の実家。
子育てをしっかりとしようと思ったら、激しい躾けは当たり前だと
よく母は言っていました。

でも、実家を出て結婚してマンション住まいをしてみると、
近所からそんな怒鳴り声が聞こえることなど、
ないのです。どこにも幼い子供がいる。

おかしい。

これは、おかしい。うっすら思う実家の違和感。

決定的な一言。
「子供は、いくら怒ってもいいんだってね」

母からのことば。

その頃から、自分が自分の感情を封印して来た弊害が出てきた。
どこにいても居心地の悪い自分が出てきたのです。

これは私の50年にわたる心の記録です。
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はじめまして

今日からこのブログを書いていきます。生まれ変わるために。

私は、53歳。

苦しかった人生。
そしてこれからも、きっと、苦しい。

どうしてなんでしょう?
これは、自分のカウンセリング。
書くことが、心の整理になるかもしれません。

でも、
無駄かもしれません。

ただひとつ、思うこと。
今子供をイライラして怒鳴っているお母様
子供の心を壊してしまったら、その子は一生苦しみます。

きっと、お分かりには、ならないかしら。

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プロフィール

ダリア

Author:ダリア
可愛くない私を、嫌々育てた母。仕事第一の父。そして溺愛された弟。病んでいく私。
ネグレクト、被虐待児のいく末です。

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