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拠り所

全てを捨てて生きてるつもり。
諦めている。
嫌われても大丈夫
ひとりぼっちでも大丈夫。
私は、心の底では、絶対裏切らないものを拠り所にしている。








ピアノ。シューマンは、絶対裏切らない(笑)
乗馬。スノーボード。スキー。
お庭、畑で、育てる野菜やお花たち。
奥田民生をたまに聴く。
そして、本を読む。
たまに行く美術館。
そして、若い才能。
五十嵐カノア、平野歩夢、そして横浜ベイスターズ(笑)
必死で努力する若いアスリートを見るのはとても気持ちが良い。
ワクワクする才能。

人は裏切るのは当たり前。裏切らない人はいないのだ。人に完璧を求めるならば、自分も完璧でなくっちゃ。それはぎゅうぎゅうの緊張感のある関係になる。
みんな自分がかわいい。良いではないですか、それで。自由にさせてあげて。

私は、人のことに興味はない。
ただ、この人、ステキだなぁって思うことはいっぱいある。
でも、そこまで。
素敵ね、で、良い。
芸術は、スポーツは、時代を超えて、年代を超えて愉しめる。
今日は、桂花烏龍茶をアイスで入れて、飲む。美味しいよ。
金木犀の花が入っているお茶。
一人で、そんな素敵な気持ちで、生きましょう。
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2本目の矢に打たれない様に

一本目の矢。
それは、自分の失敗や、心無い人の言葉や、意地悪。
それにグサッと胸を突かれて、心が痛む。
これは、仕方がない。

仕方がないと、受け入れて、お薬をつけて、心に包帯を巻いて、しばらく休んでいよう。





でも、そんな時に2本目の矢が来る。

あんな事しなきゃよかった。
あんな人になぜ私が苦しめられなきゃいけないの?
理不尽だ。
あの人に言われたことが許せない。

これが、2本目の矢。
何かで読んだことがあるこのお話。




「2本目の矢に打たれない様にしよう」

なぜ辛い事が起こったのか、原因を考えて解明したら、もう、忘れてしまおう。




恐ろしい事に、この2本目の矢は自分が自分に放つ矢だ。

さらに、この「2本目の矢」こそ心を蝕み、膿が心にたまり、やがて、身体まで、壊してしまう。






私もたくさんの「2本目の矢」が心に突き刺さったままで生きてきた。
それは、自分にとって、何もプラスにはならなかった。



今、私は、失敗をしても、くよくよしないためにこの言葉を、いつも胸にしまってある。
たまに、ああ、そうだったね。と、引き出しから出して、思い出したら、また大事にそおっと心にしまっておく。


失敗しても良い。でも、
『2本目の矢に打たれないように。』

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私の神社

お散歩に神社はちょうど良いのです。自然の中を歩けて、いい気が充満していて、手の入った庭を眺めて、お散歩です。

緑の中のお散歩は、心が、すうっとしますよね。




パンパンって、お参りをしてくれば、なんだか、しあわせがいっぱい入って来そうです✨
近くの神社へ。


風の強い日。
曇が飛ぶように動く。なんだかね、どんどん悪い物が退散して行くようですよ。







ここは、お天気の日は、光を反射した石畳が、真っ白に輝く光いっぱいのマイ神社。
曇りの日。こんな時でも、参道の、みどりの滴るような大きな木々が、透き通るような空気を作っています。
わさわさと、大風が邪気を払う。

私は自分の良く行くマイ神社を持っています。
気持ちの良いところ。

ここで、過ごす数時間が、心を清めてくれるような気がして。





自分を不幸にするのも、しあわせにするのも、自分の選択。

どうにもならない時、つらくて悲しい時、そんな時は、私は、休むっていう決断をするんです。薬を飲んでやり過ごすのも、良い決断。結局、自分を大事にしてあげる決断、自分にとって快適な決断ができる事は、大事です。



泣きたい時は、泣きましょう。
悲しい時は、悲しいって言いましょう。
自分で自分を大事に。





「弱い人でいなさい」「意思を持ってはいけません」と言われて育ちました。
でも…。そこから逃げましょう。でも、そう簡単にいかない事は、私はよく知っています。苦しくて哀しい思いをいっぱいしないと、そこから逃げられないのも、知っています。





そんな簡単ではない。でも、小さな事から始めていきましょう。
今日はひとつ、明日はもうひとつ。これを一年やれば、365個です✨
それを10年、20年してみましょう。

たまにはサボっても良いです(笑)





そして、すっごく悪い人になりましょう!ずるくて、意地悪で、嘘つきでいいんです。そう思ってもなかなかできないですよね。被虐待児の私たちは、みんなと逆なんです。悪い人になりましょう!そう思うくらいで丁度良いです(笑)



人生は、小さな選択の連続。そして、その小さな選択が、将来の自分を作ります。





気持ちの良い風の吹く、良い香りのする、お日さまの光の下を歩きましょう。


大事な存在と一緒に。

大切な人と。

たとえ姿がなくても、大事な存在は、胸の中に輝き続けるでしょう。
一緒に歩きましょう✨


私もハイジさんと歩きます!






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「生きたい」

生きたくなる、という感覚

生きたくなる…


それまでの、私は、命を無駄にしていた。
いつ死んでもいい、いや、できれば早めに命が尽きることを願っていた。





人生、辛かった。

何もかもが、辛く悲しい。
それでも、生きていなければならない。
何がそんなに、辛いのか…。



今、考えると、私は、間違っていた。

でも、心的外傷、神経症、鬱病ではあったので、それなりにかなり辛かったです。
いつも心にうっすらと覆い被さる不安と恐怖。


今でもね、常にあります哀しい心が。




でも、ひとって、もっと、しあわせなのではないか…。
皆は、きっともっとしあわせに違いない。
そうよ、ひとは、皆もっとしあわせ。
人生ってもっと、楽しくて、愉快。



自分だけがこんなに意味不明な不安と、闘って、消耗している。
そう思っていた。

人生のしあわせ度のハードルが分からなかった。



自分は、自分の人生の裏ばかり見ていた。



そうして、いつしか
完璧なしあわせを求めてしまっていた。



生きたい、と思ったのは、
余命宣告をされてからだ。


生きたい、と、思ったわけではなく、単に、死ぬのが恐ろしかったのだ。


それは、自分の為ではなく、幼い息子、主人を残して逝けない、と、
思ったからだ。



病院では、子を産んだばかりの若いお母さんの抗がん剤の点滴のベッドの横で、ご主人が乳飲み子をあやしていた。
その赤ちゃんの笑顔…。

息子さんの、サッカーの試合のお弁当をどうしても作りたいから一時退院をお願いするというお母さん。
放射線治療で髪が半分抜け、眼球摘出したというひとの笑顔。

一緒に闘病していたひとの葬儀。泣き崩れる子供。

葬儀の帰り道…、私の手を握って主人がきっぱりと言った。
『かあたんを絶対に、こんな風にはしないから。僕が絶対助けるから。』



ここで見た事。






今までは、なんでもできたじゃないか…。身体も動いたし、ある程度は、思い通りに生きてきたではないか。「子供のお弁当が作りたい」そんな希望って。。。そんなことが、どうしてもしたいって。。。命をかけてお弁当を作りたいなんて。。。
すごいと思った。




余命宣告をされてからも、変わらずに笑顔で食卓を囲むこの家族。
いつしか、主人の髪は白髪で真っ白になった。



庭の花は変わりなく咲く。
季節は巡る。



私が死んでも、きっとこうやって全ては流れていくだろう。



けれど、こんなに、私を大事にしてくれる主人と息子を、絶対残して逝けない。




セントバーナード犬のハイジさんは、常に私の足元に寝ている。
やんちゃ盛りの仔犬。
私に寄り添って、励ましてくれている。
歩けない時も、一歩一歩背中で私のことを支えてお散歩してくれる。
ひどい時は百メートルも歩けなかった。
それでも、我慢して私を支えてくれている。

仔犬なのだ…。きっと、走り回って遊びたいだろうに…。




主人は朝4時に起きて、1時間の犬の散歩に山に行き、息子の朝ごはんを作り、
ゴミ出しをし、洗濯をして出勤…。




近所の人たちには、
『家族の頑張りを見てると、涙が出る』
と、言われた。




「生きているだけで、良いのではないか…」
そういう考えが、ふと浮かんだ。



私が、生きて、存在するだけで、この家族が、しあわせなんだ、と
思ったら、生きなければ、と思った。
私は、死んでは、いけないのだと、思った。




それから、私は、拾った命。

花が咲いても、息子がふと笑っても、ああ、しあわせだ、そう思っています。
人生は、そんなに、薔薇色でなくたって良い。


そうなのです。ただ単に、私は、地獄を見たことで、欲を捨てたのです。
この大きすぎる欲は人生のお荷物。だから、身軽になって生きねば、と、思いました。


皆、何かを抱えて生きているんです。
そう思って、完璧なしあわせを求めるのを、やめた次第です。

生きたい、と、積極的に思ったわけではなく、極めて消極的に(笑)
生きねばならない、と思っただけなのです…。




しあわせは、来るものではなく、見つけるものです。きっと。
そんな事にやっと気がついた。



どんな辛い時でも、お庭の花にニコっとする時があるでしょう。
犬の顔にしあわせを感じることもあるでしょう。
美味しいお茶にホッとすることもあるでしょう。
それだけで、すっごくしあわせなんですね。
人生ってそれだけで、充分なんでしょう、と、今は思います。


2019年、夏  畑にて…。

これが、この花の畑が、私の日常のしあわせです。葡萄もなります。無花果もなります。薔薇もカンナも咲きます。そしてダリアも…。茄子も、ピーマンも、トマトも、インゲン豆も、ごぼうも…。
ここを耕して、汗をかいて、命の花を部屋にいける。お野菜たくさん。


~~今苦しみの中にいらっしゃる方々、こんな写真…。ごめんなさい。お目こぼしください。でも、自分の記録として、残しておきたくて…。でも、これは、30年苦しんでようやくたどり着いた、穏やかな時間です。

今、苦しい方…、きっと、こんな時間が来るのです。私も、ずっとずっと20年も薬を飲んで生きているのです。それでも、しあわせです。54歳の顔。

笑えなかった自分、笑えるようになりました。

『「生きたい」という感覚がわからないので、教えて欲しい』とのコメントをいただき、書いてみました。皆さま、いつも、コメントありがとうございます。
なんだか一緒に頑張る同志のようで、心強いです。

みなで、一緒に、青い鳥を探しましょう✨

~あ、でも今でも、心が弱いので、たまに辛い時もありますよ…。とほほ。



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冷んやりの、あんみつ

疲れちゃった時、あんみつを。




こういう時は、自分がうれしくなる様な器で、きれいに盛り付けて、食べますよ。
冷たくて、ぷるんとした寒天。うっすら塩の効いたお豆。
ほっこりするあんこに、黒蜜だよ。
しあわせ感。

こういう小さなことって大事なんです。


自分を大事にしてあげますよ。






死んでも平気、と、思っていた自分だが、死を恐怖するというのは、生物の本能なんだなぁ、と思う。いざ、死ぬかもしれません、と言われると、絶対に生きたくなるものだ。
だから、全部諦めて生きる。生きているだけで、良いのです。これは、癌のおかげです。



「しっかりしなければ、頑張らなければ、ひとに迷惑をかけてはいけない、自分のせいだ、ひとが不愉快なのは、私のせい…」そんな思いが心に浮かんできたら、泣きましょう。



私は、最近はあまりそういう思いに悩まされる事も少なくなり、すっかり図々しく生きています(笑)


「いじめられたら、いじめ返してみたら良いかもしれない!」「私だって人をいじめてもいいんだわ!!」
って、気がついた時の衝撃。




だからといって、まさか、人を故意にいじめる事はしないけれど、人を嫌っても良いのだ、と気がついた時には、不思議な心強さを感じた。


虐待された人は、人を嫌ってはいけないと思い込んでいる。どんな人の機嫌もとる。それはそれは、辛い事。私は、何をされても微笑んできた。決して怒らない不思議な人と言われたこともある。


全てを捨てて生きましょう。すっかり諦めてしまいましょう。

しあわせになりたいと思わない事です。
しあわせというのは、見つけるものです。

小さなことを喜んで生きることです。



青い鳥は、すぐそこにいるのです。




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プロフィール

ダリア

Author:ダリア
可愛くない私を、嫌々育てた母。仕事第一の父。そして溺愛された弟。病んでいく私。
ネグレクト、被虐待児のいく末です。

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